太宰治 津軽のあらすじ│人々との明るい交流が感じられる作品

公開日: : 最終更新日:2023/08/30 太宰治(Dazai Osamu), 文学(Literature), 旅行(Travelling), 本(Book)

太宰治「津軽」のあらすじをお届けします。

数ある太宰の作品の中でも「津軽」は高い評価を受けています。

「人間失格」「斜陽」などの他の作品は、登場人物の境遇や心情において、救われない・やりきれない思いを抱かせるものが多いのですが、「津軽」では憂鬱さを感じさせる出来事はなく、出会う人々との心地いい交流が感じられます。

暗い展開の作品が太宰の人生の「陰」の部分を表現したものとすれば、「津軽」は「陽」の部分を描いているといえます。

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1.序章

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昭和十九年。太宰治は津軽半島を三週間ほどかけて一巡する旅に出かけた。
出版社から風土記執筆の提案を受けてのことだった。太宰にとって、この旅により、津軽人とはどのような者であるのかを見極め、都会人として不安を感じ始めていた自分の生き方の手本とすべき、純粋の津軽人を探し当てることが目的であった。

太宰は生まれてからの約二十年間を津軽で過ごしたが、知っている場所はその一部分だけであり、他の場所へは行ったことも無かった。津軽の金木に生まれ、進学するたびに、五所川原、青森、弘前と都会に出て、当時は東京に住んでいた。

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2.青森へ

太宰は作業着にゲートル、テニス帽子という装いで、十七時半に上野発の急行列車に乗った。翌朝、予想外の寒さに震えつつ青森に到着し、旧友のT君に出迎えてもらった。T君はその昔、太宰の実家に仕えて鶏舎の世話などをしていた。彼は一度南方へと出征し、現在は青森の病院に勤めている。
目的地である蟹田に向かうバスを待つ間、太宰はT君の家に少し滞在させてもらい、酒を飲みながら思い出話などをして過ごした。

3.蟹田

翌日に蟹田へと行き、中学時代の唯一の友人で会ったN君の家に向かった。彼は太宰の作品「思い出」の中にも登場し、学校を卒業してから同じように東京に出ていて、そこでもしょっちゅう会っていた仲だった。

N君は職を転々とした後、現在は蟹田に戻り、実家の精米工場を継いでいる。人柄がよく人望も厚いため、町会議員にも選ばれていた。
太宰とN君は互いに酒呑みで、その日はN君の家で、好物の蟹を賞味しつつ、一晩飲み明かした。
太宰治が酒呑みであったことは有名である。津軽の旅でも、誰かと会ったりどこかに出かけたりするたびに酒を飲んだ様子が描かれている。

翌日、予定通りT君が、同僚と病院の事務長であるSさんと共に太宰とN君を訪れた。さらに、N君の知り合いであるM君が、太宰が蟹田に来たことを聞いて駆けつけていた。太宰たちは皆で蟹田の町を見下ろせる観瀾山という小山に登り、桜を見ながら弁当を広げ、小説について談義した。

その後は山を下りて旅館に場所を移して昼食をとると、今度はSさんの家に行き、熱烈な歓迎を受けた。過剰ともいえそうな歓待の仕方は、津軽人の気質をよく表していた。

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4.外ヶ浜を経由し竜飛へ

Sさんの家を辞した太宰とN君は、T君と共にN君の家に戻り、再び飲み明かして三人でごろ寝した。次の日から二日間、太宰は締め切りが迫っていた原稿を執筆し、N君は自分の精米工場の仕事をこなして過ごした。

仕事が終わったころにN君について工場を見学した太宰は、米の出来高の記録を見て、津軽で凶作が起こる頻度の高さを実感した。
次の日、太宰はN君の案内で外ヶ浜を見て回った。本来は蟹田から船に乗って竜飛へ行く予定であったが、悪天候によって船が欠航したので、船の代わりにバスで外ヶ浜街道を北上しながら、途中Mさんの住む今別へと行き、天気が良くなれば今別の港から船に乗って竜飛に向かうつもりであった。

Mさんの家で弁当を食べて酒を飲み、少し文学の話をした後、N君の勧めで今別にある本覚寺という寺に三人で行くことになった。N君は江戸時代にこの寺にいた貞伝和尚という僧侶を尊敬しているらしい。
本覚寺で住職のおかみさんから長々と話を聞かされて辟易した太宰たちは、三厩の小さな旅館に宿を取った。道中で尾頭付きの鯛を買い、この日の宿で塩焼きにしてもらうつもりでいた。

翌日は雨が止むのを待ってから、昼頃に出発した。太宰とN君はMさんと別れて北に向かい、かの源義経が持っていた観音像があるという義経寺に立ち寄ってから、竜飛に向かって海沿いの道を歩いて行った。

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岩木山から眺める津軽半島

途中で風と寒さが強くなり、二人は凍えながら、本州最北端の竜飛岬に到着した。太宰は小さな家が固まった集落を見て、鶏小屋のようだと思った。
意外にもこぎれいな旅館に泊まった二人はたくさんの酒を注文し、N君は珍しく酔って大きな声で歌を歌った。

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5.生家への帰宅

翌日、二人は来た道を戻って三厩で昼食を取り、バスで蟹田まで帰ってきた。しかし、天気はまだ荒れ模様で定期便は欠航したままだった。翌々日の昼頃になって、N君と別れ、一人で定期便に乗って青森へと向かった。そこから列車で川辺、五所川原を経由して津軽平野を北上し、薄暗くなったころに生家がある金木町(現在の五所川原市金木町)にたどり着いた。

実家には長兄とその妻、次兄がいた。さらに、長姉の娘である光子、長兄の娘である陽子とその婿も来ていた。

実家の津島家は「津島の殿様」と呼ばれる裕福な家で、父の源右衛門は国会議員をも務めた名士だった。
長兄である文治は、後の1947年に青森県知事に就任している。長兄の娘婿である田澤吉郎は後に県会・国会議員、省庁の長官や大臣を歴任している。

名家の長男たる文治と、型破りな性格の太宰は反りが合わなかったため、太宰は帰省しても居心地の悪さを感じていたようだ。立派な実家と、それを継ぐ素養のある兄や親族に対し、屈折した思いを抱いていたのかもしれない。

翌日は雨で、太宰は婿と語り合い、庭を眺めて過ごした。そのときにカエルが池に飛び込んだ様子を見て、松尾芭蕉の一句を思い出す。昔は興味がないと思っていたが、この歌が世の中の片隅で生じたつまらない音と自分を重ね合わせたものだと気づき、身につまされる思いになった。
その次の日になると、太宰、陽子とその婿、そして使用人のアヤ(津軽の方言で爺やの意味)と共に、近所にある高流という小山に遊びに行った。途中の道には立派な修練農場があり、遠くには津軽富士と呼ばれる岩木山が見える。
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岩木山

当時、修練農場では、農業のみならず農村を支える中堅人材の養成を行っており、この場所は現在、弘前大学農学生命科学部生物共生教育研究センター附属施設 金木農場となっている。

次の日は長兄夫婦も加わり、金木の南東にある鹿の子川溜池(現在の「鹿の子ため池」)に出かけた。太宰は兄の様子を見て、かつて東京の郊外で一緒に野道を歩いたことを思い出し、なぜかこうして一緒に外を歩くのは、もう最後かもしれないと思った。

この思いは、立派になっていく兄の人生と、生活の規律が乱れがちな自分の人生とが、もう交わることはないだろうという予感によるものだったのかもしれない。事実、文治が知事に当選した翌年、太宰は入水自殺によって生涯を閉じた。

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6.たけとの再会

太宰は小学校の時の高山行き以外、西海岸の方には一度も行ったことがなかったので、この機会に津軽地方の西海岸も見て回ることにした。

鹿の子川溜池に出かけた翌日、金木を出発した。列車で五所川原を経由し、木造という町にやってきた。太宰の父はこの町のMという旧家の三男で、女しか生まれなかった太宰の家に婿養子として迎えられたのだ。父は県議員や国会議員を務めていた多忙な人で、太宰が十四の時に肺を病んで死んでいる。そのため、太宰自身は父の人となりについてあまり詳しく知らず、父の生家を訪れたことも無かった。

しばしの逡巡を経た後、父の生家であるM薬問屋を訪ねた。当主は何度か金木に来たことがあり、太宰とも顔見知りだった。Mさんは太宰を歓待し、共に酒を飲んだ。

金木の家は父が改装したことがあり、その間取りは生家である木造りの家と同じであったことから、太宰は父の「人間」の部分に触れたような気がした。

昼頃にMさん宅を辞した太宰は、列車に乗って日本海側を南下し、深浦へとたどり着いた。この近辺は秋田領であったことから、津軽人気質の押し出しの強さはなく、つつまし気で利口な雰囲気を太宰は感じていた。

津軽が開拓されて日本の一部となってからの歴史は、他の地方と比べると深くはない。歴史に裏付けられた自信がないゆえに傲慢で押し出しが強くなるが、逆に言えば未開発の部分が多く、日本の希望になるかもしれないと太宰は考えた。

深浦で一泊した日の朝、兄の中学の時の同期生であるという人と話し、兄たちの知己の広さを思い知った。太宰は列車に乗って鰺ケ沢に立ち寄った後、五所川原に住む恩人の中畑さんを訪ねた。中畑さんの娘のけいちゃんに案内してもらい、ハイカラ町にある叔母の家に向かった。叔母は入院している孫の付き添いで留守だったが、代わりに従妹が迎えてくれた。

太宰は翌日、小泊に行って、乳母のたけに会うつもりでいた。たけは病身の母に代わって三歳のころから太宰を育ててくれた人で、幼い太宰に多数の本を読ませて教育し、太宰の人格形成に大きく影響を与えている。太宰にとって、たけは母以外の何者でもなかった。

たけは太宰が八歳のころに突然いなくなり、それから一年ばかりしたときに一度会ったものの口は利かず、それ以降は会っていなかった。たけは太宰が津軽を訪れるならばぜひとも一度会っておきたい人であった。

叔母の家で一泊した後、太宰は津軽鉄道に乗って北上し、終点の中里からバスに乗って小泊に到着した。越野たけという本名を頼りに周囲の人に聞いて家を見つけたものの、たけは留守であった。

学校で開かれている運動会に行っていると聞いてそちらに行くが、たけは見つけられない。
再び家に戻ったとき、十四、五歳になるたけの娘が戻ってきていた。その子に連れられて会場に戻った太宰は、ようやくたけに会うことが出来た。

太宰はたけに出会って心の平穏を感じた。
そして、次々にたけに質問をしていくうちに、この強く無遠慮な愛情の表し方は、たけに似ているのだと気付いた。

兄と性格が異なるのは、たけに育ててもらったためだった。少し自分に自信がなく、それゆえに無遠慮に押しが強くなるという津軽人の気質は、太宰の中にもしっかりと息づいていた。

青森のT君、蟹田のN君、五所川原の中畑さん、実家のアヤ、そしてたけを通し、太宰は自分の中に津軽人特有の気質を見出した。

7.まとめ

数ある太宰治の作品の中で一作だけ選ぶとすれば、それは「津軽」であると言われるほどに、この小説は高い評価を受けている。

「人間失格」「斜陽」などの太宰作品は、登場人物の境遇や心情において、救われない・やりきれない思いを抱かせるものが多い。これは薬物中毒や心中未遂など、太宰の実体験に基づいていると考えられている。

それに対し、「津軽」では憂鬱さを感じさせる出来事はなく、出会う人々との交流は清涼感すら覚える明るい物である。太宰が内心で、自分が失態を見せたり、人から拒絶されたりするのではないかと身構える場面がいくつかあった。しかし、津軽の人々はまったく気にせず、常に快く太宰を迎えた。特に最後にたけに出会えたところでは、太宰も平穏を感じている。素のままの自分でいることが出来た旅であったことが、「津軽」が明るい雰囲気の作品になった理由なのかもしれない。

暗い展開の作品が太宰の人生の「陰」の部分を表現したものとすれば、「津軽」は「陽」の部分を描いているといえる。

「津軽」の中で私が一番好きな部分は、最後の一文である。
「さらば読者よ。命あれば、また他日。元気で行こう。絶望するな」

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