ゴーゴリ 鼻のあらすじ│小市民的なユーモアへの憧憬
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最終更新日:2023/08/30
文学(Literature), 本(Book)
『鼻』は1835年、ゴーゴリ26歳の時に上梓された作品である。
主人公のコワリョフは典型的なロシアの小市民で、役所に勤めているが仕事ぶりはパッとせず、凡庸である。身なりにはかなり気を遣うが、他人からはあまり重要とされない、特徴の無い役人である。
ある日、自分の「鼻」が取れていることに気づいたコワリョフ。
本来取れるはずの無い「鼻」が取れていても当然かのようなそぶりで、物語は進んで行く。
**目次**
1.飲んだくれで小市民的な理髪師 イワン・ヤーコウレヴィッチ
19世紀ロシアのペテルブルグ(今のサンクトペテルブルク)、ヴォズネセンスキー通りに住んでいる理髪師のイワン・ヤーコウレヴィッチがある朝目を覚まし、朝食に食べるパンを切っていると、パンの中に誰かの鼻が入っているのを発見する。
イワン・ヤーコウレヴィッチはいつも飲んだくれで、他人の髭(ひげ)は剃るが自分の髭は反ったことの無いような無精な人間である。
彼は、細君であるプラスコーヴィヤ・オーシポヴナに「どこからそんな鼻を削ぎ取ってきたんだ、人でなし」と小言を言われながら、パンの中に入っている鼻を指でつまみ上げると、毎週水曜日と日曜日に理髪店へ顔を剃るためにやって来る小役人のコワリョフの鼻であることに気がつく。
鼻をとっとと片付けないと警察へ突き出すと言うプラスコーヴィヤ・オーシポヴナの口やかましい小言を尻目に、イワン・ヤーコウレヴィッチは鼻を捨てようと往来へ出る。
(photo by photoAC)
どうしてこんなことになっているのか訳がわからないまま往来をゆくが、こんな時に限ってたくさんの知り合いに遭遇してしまい、なかなか捨てるタイミングがなかった。そのうち大小の店が開き始め、町を歩く人が徐々に増え、絶望しながらも彼は鼻を、イサーキエフスキイ橋の下に流れているネヴァ川に投げ込むことに決めた。
魚でもいるかと覗くふりをして、橋の欄干によりかかりざまにこっそりと鼻の包みを川に落とした。ヤーコウレヴィッチはニヤリとした。
首尾よく橋の下へ鼻を捨てることに成功したかと思いきや、橋のたもとに立っている巡査に発見されてしまった。
怪しむ巡査はイワン・ヤーコウレヴィッチを呼びつけ詰問する。
イワン・ヤーコウレヴィッチはこの危機をなんとか逃れようと、遠くの方から愛想良い顔をして近寄り、「これはこれは、ご機嫌様です、旦那」と巡査にお追従をする。
そんなことに誤魔化されない巡査は、今あそこで何をしてたのか話せと言う。
ヤーコウレヴィッチは途端に顔から色を失う。ところがこの一件はここでうやむやになってしまい、その先がどうなったのか、皆目分からない状態となる。
2.八等官の成り上がり者 コワリョフ
コワリョフはコーカサスから出世のためにやってきた小役人であった。八等官になって2年がたっていたが、まだ自分が何者かを客観視できず、いつも少佐と自称し自分を大きく見せていた。
朝早くに目を覚ましたコワリョフは、昨日自分の鼻の頭にできたニキビの状態を見ようと鏡を取ったが、驚いたことに本来鼻があるはずの場所に鼻が無いことに気がついた。
これは何かの間違いなのではないのかと自分の目をタオルで拭いたり、手でさわって確認したり、自分の体をつねったりしてみたが、もと鼻のあった場所はのっぺらな平面となり、やはり鼻が無くなっていることを知り、武者震いする。そして(なぜ医者に行かず、警察に行こうと決めたのか分からないが)コワリョフは、警視総監のもとへ行こうと表へ駆け出した。
(photo by GAHAG)
通りには馬車が見つからなかったので、彼は鼻血が出て困っている風に、ハンカチで鼻のあった場所を覆いながら、歩いて警視総監のもとへ向かったが、その途中に人気の無い菓子屋へ立ち寄り、鏡を自分の顔を見てみた。やはり彼の鼻は無かった。
菓子屋を出て再び通りを歩いているコワリョフに、奇妙奇怪な現象が起こった。
一台の馬車がある家の玄関にとまって扉があいたと思うと、その中から礼服を身につけた一人の紳士が出てきて、階段を上がって行ったが、それがほかならぬ、自分の鼻だったのである。
あまりの驚愕に体をブルブル震わせながらも、自分の鼻が馬車に戻ってくるまで待っていようと決心したコワリョフ。幸いにも二、三分で馬車に戻ってきた鼻を尾行しようとするコワリョフだったが、まるで何かの気配を感じたかのように、鼻は素早く馬車へ乗り込み、去ってしまった。
コワリョフは、この日起こった一連の出来事に思案を巡らし、自分の鼻が、自分の体から独立して馬車に乗ったり喋ったりするのが、理解できなかった。とにかく、コワリョフは馬車に乗って鼻の跡を追うことにした。
3.コワリョフと「鼻」との会話
カザンスキイ大伽藍(だいがらん)の前で鼻が乗っていた馬車を発見したコワリョフは、堂内へと入って行った。
信心深く祈祷をして、大きな立襟の中へ顔をすっかり隠してうずくまった鼻を見つけたコワリョフは「あなたは、ご自分の居どころはちゃんとご存知のはずです。」と単刀直入に、鼻に話しかける。
すると鼻は「おっしゃる意味が分かりませんな。僕はもとより僕自身です。お召しになっている略服のボタンから察するに、大審院か、少なくとも司法機関にお勤めのはずですが、僕は文部関係の者ですからね。あなたとは何の関係もございません。」とコワリョフに対しぞんざいな態度をとり、まるで何事も無かった様子で再び祈祷にうつった。
その時コワリョフは、中年の貴婦人と一緒に堂内へ入って来た、カステラのようなふんわりとした卵色のボンネットをかぶった、体つきのきゃしゃな娘に目をとめた。
あたりへほほえみをふりまきながら、そのきゃしゃな娘の方にじっと目を凝らしたコワリョフは突然、自分の顔についてあるはずの鼻が無いことを再び思い出し、目から涙がにじみ出した。
鼻は自分の鼻以外の何物でも無いのだということを、鼻に言ってやろうと決心したコワリョフだったが、鼻はもうそこにはいなかった。落胆したコワリョフは再び馬車に乗り、警察部長の自宅へ向かうのだった。
4.コワリョフ、「鼻」を探す
警察部長が不在だと聞いたコワリョフは、再び考えを巡らせた。
今までは、すべての秩序を統括する警察署へ助けを求めていたばかりであったが、鼻が勤めているといった役所の手を経由して、満足な結果を期待しようなどとは全く論外である。
あの悪党は初対面の時から、あんな図々しい態度をとったのだから、いい潮時を見て、まんまと逃亡するかもしれない。
そしてもし逃亡されたら捜査が長引きたまったものではない。
警察には任せられないと考えたコワリョフは新聞社へと赴くことにした。鼻の特徴を詳細に掲載した広告を出してもらおうと考えたのである。
新聞社へとたどり着いたコワリョフは、手狭で人がごった返し、空気のひどく濁っている部屋で、広告を受け付けている分別臭い係員に「自分はペテンに引っかかったのでその悪党を引っぱってきてくれた方には謝礼を出す。新聞に広告を掲載してほしい。」と言った。
しかし、係員にその悪党(鼻)の名前を聞かれ、回答に窮してしまう。
コワリョフは、オブラートに包んだ言い方で自分の身に起こった一連の奇怪な出来事を係員に話すも、「そういう荒唐無稽な与太話を新聞に掲載することはできません。新聞の信用にかかわります」と、ていよく断られてしまった。
しかも「鼻が無くなったのなら、それは医者の縄張りですよ。」と、もっともなアドバイスまで言われる始末であった。
そこで、この荒唐無稽な出来事を係員に信じてもらうべく、コワリョフがハンカチを払いのけて顔を見せると、それを見た係員はつくづく心を打たれたらしく「まったく、飛んだ御災難で。嗅ぎたばこでも一服どうです?」とコワリョフに嗅ぎたばこを勧める。
係員は器用にくるりと嗅ぎたばこの蓋を下へ廻すと、その蓋には、ボンネットをかぶった婦人の肖像がついていた。
嗅ぎタバコ(photo by pixabay)
そこにはコワリョフにとっての憧れであり、鼻の無くなった今となっては絶望感に押しつぶされる、煌びやかな社交界の雰囲気が広がっていた。
コワリョフは、「自分には嗅ぐ器官が無いのだ。」と係員に言い棄て、カンカンになり新聞社を飛び出し、その足で分署長のところへと出かけて行った。無論、広告は掲載できなかった。
5.見つかった「鼻」 そして突然元に戻った鼻 起こりえるはずの無い不合理
食事を終え、少し寝ようかと分署長が考えていた矢先に、コワリョフはそこへやってきた。
機嫌が悪い分署長は、食事の後で審理をするのは適当でないとか、ちゃんとした人なら鼻を削ぎ取られるなどあり得ないとか言い、まともに取り合ってくれなかった。
分署長にも適当にあしらわれたコワリョフは失望し、我が家へと立ち帰った。すでに黄昏時であった。
コワリョフは自分の部屋へ入ると、ぐったり疲れたみじめな我が身を安楽椅子へ落とし、ことの顛末を振り返った。
いろいろな事情を総合した結果、この一件の原因は、彼に自分の娘を押し付けようとしているポドトチナ夫人にあるのでは、と思い至った。彼の方でもその娘を好んでちやほやしていたが、結婚するなら花嫁に持参金が十二万ルーブルもあるような場合だと思っていたし、ポドトチナ夫人には、もう5年役所に勤めて42歳になってから考えたいと言ってから、お世辞でまるめてやんわりと断っていた。
今回のことは夫人が腹いせに魔法使の女でも雇ってやらせたに違いない、彼女のところへ乗り込んで、直談判してやろうと思っていたその時、不意にあらゆる扉からサッと光が差し込んで、コワリョフの思考を中断した。
そして下男のイワンがロウソクに灯りをつけて入ってきた。
イワンが自分の部屋へ戻るよりも前に、控室から「八等官コワリョーフ氏のお宅はこちらですか?」という聞き慣れない声がして、コワリョフは急いで飛び上がり扉を開けた。
そこにいたのは身なりのいい警察官で、実はこの物語の最初の場面で、イサーキエフスキイ橋のたもとに立って、コワリョフの鼻をネヴァ川に捨てた理髪師ヤーコウレヴィッチを問い詰めた巡査であった。
コワリョフは、鼻が見つかったとの知らせを巡査から受け取った。
巡査が言うには、鼻がリガへ高飛びする、際どいところを取り押さえたとのことだった。そして紙に包んだ鼻を隠しポケットから取り出した。
巡査が立ち去ってから、コワリョフは突然の知らせで放心のあまり二、三分ボーっとしてしまったが、冷静さを取り戻し、鼻を両手に乗せしげしげと眺めた。
コワリョフは「確かにこれだ!」とつぶやき、あまりの嬉しさに笑い出しそうになったが、次にこれをどうやって元の位置にくっつければいいのかと考えた。
鏡を見ながら、うっかり鼻を斜めにくっつけたりしては大変だと、両手がぶるぶる震えた。
鼻をそっと元あったところへ押し付けた。
しかし鼻はつかない。
次に鼻を口元に持っていき、接着したい部分を自分の息でそっと湿らせてから再び当てがったが、やはりくっつかない。
狼狽したコワリョフは、下男のイワンに医者を呼ぶよう言った。
同じ建物の中二階に住む医者は、鼻のあった場所を触ったり、顔を右に向けたり左に向けたりして鼻のあった場所を眺めてから、
「くっつけて差し上げることはできますが、下手に鼻をくっつけると余計に悪い。この鼻は瓶に詰めてアルコール漬けにしておくのが良い。そうすれば、相当うまい金儲けができますよ。もしあなたがそれを捨てようと考えているのであれば、私に売ってください。」と言った。
言われたコワリョフは、やけっぱちになって「絶対に売るものですか!」とのたまい、堂々と帰って行く医者の姿を茫然と見送った。
翌日、ポドトチナ夫人に抗議と今日中に鼻を本来の場所に戻すよう手紙をしたためたコワリョフだったが、その返事はこの一件にポドトチナ夫人は全く関係無いという内容であった。
ポドトチナ夫人は手紙で、鼻のことが書かれてあったが、コワリョフの鼻を明かすどころか、今でも正式に申し込みがあれば娘をコワリョフへ嫁がせたいとのことだった。
そうこうするうちに、この稀有な事件は都の内外へと広がった。
こういう話にはよくあることで、いつかそれにはあられもない尾ひれがつけられていた。コワリョフ氏の鼻が毎日きっかり三時にネフスキイ通りを散歩するという評判が立ったり、ユンケル商店に鼻がいるとの噂が立とうものなら、忽ち店の周りには黒山の人だかりがして、押すな押すなの人だかりができるほどであった。
また、鼻が毎日散歩するのはネフスキイ通りでは無く、タウリチェスキイ公園だとか、その公園の管理人にわざわざ手紙を出して、是非私の子供にその珍しい現象を見せてやってほしい、などど言う貴婦人まで登場する始末であった。
四月七日、コワリョフが目を覚まして何気なく鏡を除くと、あれほど世間を騒がせていた当の鼻が、まるで何事も無かったかのように、突如として元の場所に、つまりコワリョフの頬と頬の間に姿を表した。
びっくりするコワリョフのもとへ、ちょうど下男のイワンがやってきたので、鼻がちゃんとついているか確認してもらったが、イワン曰く「何ともありませんよ。ニキビなんか一つもありません。きれいなお鼻でございますよ。」とのことであった。そこに理髪師のイワン・ヤーコウレヴィッチがやってきたので戦々恐々としたコワリョフは、鼻に触れないように顔をあたるよう、イワン・ヤーコウレヴィッチに命じた。
その後コワリョフは菓子屋へ出かけて、大きい態度で店員にチョコレートを所望したり、娘を連れたポドトチナ夫人に会って、彼女たちの前で堂々と嗅ぎたばこを二つの鼻の孔に詰めて味わったり、何事も無かったかのようにネフスキイ通りや、その他いたるところへ遊びに出かけた。ポドトチナ夫人の娘とは、相変わらず遊びには相伴するが、結婚する気はなかった。
同じように鼻も、何事も無かったかのように彼の顔に落ち着いて、他所(よそ)へ逃げ出そうなどという気配は少しも見せなかった。
6.まとめ
この作品は、本来取れるはずの無い「鼻」が、主人公の体から分離して逃げ出し、役人になったり、喋ったり、リガへ高飛びしようとしたり、およそ現実世界ではあり得ない、一見超現実的な出来事がテーマ(主題)になっているかと思われる。
しかし、そうでは無い。作者ゴーゴリは巻末にこう記している。
― 不合理というものはどこにもあり勝ちなことだ(中略)こうした出来事は世の中にあり得るのだ。稀にではあるが、あることはあり得るのである ―『外套・鼻』ゴーゴリ 平井肇訳 岩波文庫 1938年 P.123
ゴーゴリは、なぜコワリョフともあろう人物が、新聞に尋ね人「鼻」の広告など出せるものでない位のことが分からなかったのだろう、と書いている。
それに、この一連の事件が何故起こったのか分からない、とも書いている。
また、世の作者(文学者、作家)がこのような題材をよくも取り上げるものだ、とも書いてもいる。
おそらく『鼻』はこうした作家たちに向けて書いた「風刺」の物語なのであり、現代の「おとぎ話」なのである。そして自虐を込めて、このような作品を書いた自分をも、そのような作家の中の一人なのだと言っている気がしてならない。
『鼻』からおよそ80年後の1915年に、プラハの作家フランツ・カフカが発表した『変身』にも、同じような不合理な出来事が描かれているが、『変身』の主人公であるグレゴール・ザムザが、突然毒虫に変身して感じた絶望感ほど『鼻』の主人公であるコワリョフは、自分の「鼻」が無くなっていることに絶望感は感じていないかのようである。
むしろ「鼻」を無くしたコワリョフの焦燥感や、擬人化した「鼻」氏の人物像に、ささやかなユーモアが感じられる。そこがゴーゴリの特色であり、同時代の作家の中でゴーゴリが抜きんでた存在になったゆえんであろうと感じる。
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