中島敦 山月記のあらすじ│臆病な自尊心が変じた獣を描く、著者の代表作

公開日: : 最終更新日:2023/08/30 文学(Literature), 本(Book)

中島敦といえば山月記というほど、この作品は広く知られている。

その理由としては、思わず引き込まれるようなスピード感のあるストーリーとともに、秀才であれば誰しも大なり小なり持っている自尊心と現実の自分との葛藤という要素があるからである。

その意味で、1942年に発表されたこの作品は、古い作品ではあるが、今でも、現代社会に生きる我々の心の悩みを語る作品である。

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1.李徴という英才

唐(西暦618~907年)の時代。隴西(ろうせい)郡(現在の甘粛(かんしゅく)省東南部)に李徴という男がいた。博学英才の非常に優秀な男で、若くして科挙に合格するほどだった。

官僚になると、江南(現在の浙江省)あたりの尉(警察・軍事管轄の役人)に就任した。しかし、李徴は優秀であると同時に性質に傲慢な所があり、一介の官吏の身分にあることが我慢できなかった。そしてついに官職を辞し、詩人として名声を得るべく、故郷の山にこもって人との交わりを避け、詩作にふけるようになった。

科挙は中国における官僚への登用試験のことで、いわば公務員試験である。その倍率はすさまじく高く、最難関の部門では約3000倍にもなり、合格者の平均年齢は36歳であった。

2.砕かれた自尊心

だが、その思いはなかなか実現することなく月日ばかりが流れ、生活はどんどん苦しくなっていった。数年の後、貧窮に耐えきれなくなった李徴は妻子を養うために夢をあきらめ、再び地方官吏の職に就いた。その頃にはかつて見下していた同期達は出世して、一官吏の李徴よりもはるかに高い地位についていた。
その現実は李徴のプライドをさらに深く傷つけ、狂気が募っていった。

一年後、公務で地方に出かけた李徴は、汝水(河南省の嵩県から淮水に流れる川)のほとりに宿泊した夜、ついに発狂した。訳が分からないことをわめきながら外へ飛び出し、ついに行方知れずとなってしまった。

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3.監察御史・袁傪と人語を話す虎

その翌年に、袁傪(えんさん)という監察御史(かんさつぎょし)が嶺南(南嶺山脈南から南シナ海沿岸にかけての地域)への旅の途中で、商於(しょうお)の地で宿をとった。

次の日、まだ暗いうちに出発しようとしたところ、宿の主人がこの辺りは人食い虎が出るので、進むのは昼間にした方が良いと忠告してきた。だが、袁傪には供回りの者が多数付き添っていたので、忠告を退けて出発することにした。

監察御史は地方諸郡の官吏を監督査察する役人のことで、現代の監察官と同じ職務を行う。

林の中の草地を進んでいたとき、宿の主人が言った通り、一頭の虎が草むらから飛び出してきた。
虎は袁傪に襲い掛かるかと思われたが、なぜか身をひるがえして草むらに隠れた。そして、虎の隠れた草むらから、しきりに「危なかった」と繰り返しつぶやく人の声が聞こえてきた。

袁傪はその声に聞き覚えがあった。それは紛れもなく、かつての友、李徴の声だった。
袁傪は李徴と同じ年に科挙に通った、いわば同期生である。峻峭(しゅんしょう)な性格の李徴と、温和な性格の袁傪はぶつかることがなく、李徴にとって袁傪は数少ない友達の一人だった。

4.虎に変じた男

袁傪が李徴ではないかと虎に訊ねると、しばらくの沈黙ののちに、すすり泣きとも取れる声が続き、ようやく低い声で「自分は陳西の李徴である」との答えが返ってきた。

袁傪は馬から降りて草むらに近づき、どうして出てこないのかと訊ねた。
李徴は動物の身となっており、それを友の前にさらせば畏怖嫌厭の情をわき起こすことになるからだという。それでも李徴は、しばし話をしてくれるよう袁傪に懇願した。

普通に考えればあり得ない話なのだが、このときの袁傪はこの虎が李徴であることは全く不思議に思っていなかった。部下に命じてしばし足止めさせ、自分は草むらのすぐそばに立って李徴と話し合った。

都の様子、袁傪の現状と地位、それらへの李徴からの祝辞。そして最後に、袁傪はなぜ故に李徴がそのような姿になったのかを訊ねた。

一年前の汝水に泊まった日、李徴は誰かが呼んでいるような声に導かれ、外に出て走り出した。次第に両手両足で走るようになり、体に力がみなぎり、体毛が生え、いつの間にか虎になっていた。異常な事態に深く恐れ、一度は死のうとも思ったが、この日まで生き続けてきた。

動物が眼前を通りかかれば虎としての本能が獲物を捕らえ、一日の内に数時間だけ人間としての意識が戻ってくる。一番辛いのは、人間の意識が戻ってきたときに、虎である間に自分が行った所業を意識しなくてはならないことだった。
 
人間としての意識が戻る時間は日を追って短くなっている。そのうちに、李徴としての人格は消えて失われ、心身ともに完全な虎となることだろう。もしかすると、その方が幸せなのかもしれないが……。

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5.虎の詩才

自分の境遇と心中を語った後、李徴は袁傪に一つの頼みをした。

李徴が官職を辞したのは、詩人になるつもりであった。そうして数百篇も詩を作ったが、どれも世に出ることは無かった。原稿もどこにやったかはわからないが、まだ暗唱できる物が残っている。
これらを一つも世に出さないのでは死んでも死にきれない。本当に虎になって忘れてしまう前に、袁傪に記録してもらいたいのだという。

袁傪は部下に命じ、李徴が歌う詩を書き留めさせた。三十篇ばかりもあったが、どれもが格調高く、意趣も卓越して、一つ読むだけでも作者の非凡な才能が分かる物ばかりだった。

どれも間違いなく素晴らしい作品ではあったが、「超」一流となるには、非常に微妙な点で欠けるところがあった。一流ではあるが、平凡な一流とでもいえる物か。

6.李徴の生きた証

詩を述べ終えた李徴は、いまだ詩に囚われている自分を自嘲した。
虎になっても、自分の詩集が長安の風流人の机に置かれている夢を見ることがある。何と愚かしいことか。

それを聞いた袁傪は、李徴には自嘲癖あったのを思い出した。

李徴は最後に、自らが生きていた証として、即興の詩を述べた。

偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃
今日爪牙誰敢敵 当時声跡共相高
我為異物蓬茅下 君已乗軺気勢豪
此夕渓山対明月 不成長嘯但成嘷

偶(たまたま)狂疾(きょうしつ)に因りて殊類と成り 災患相仍(よ)りて逃るべからず
今日爪牙(そうが)誰か敢へて敵せん 当時声跡共に相高し
我は異物と為る蓬茅(ほうぼう)の下(もと) 君は已に軺(よう)に乗りて気勢豪なり
此の夕べ溪山明月に対(むか)ひ  長嘯を成さずして但だ噑(ほ)ゆるを成す

ふと心を病んだことで、異なる種類の生き物になった。災いが次々と起こり逃れられなかった。
虎となった今では、誰がこの爪や牙に敵として向かって来ようか。昔は君も私も秀才として評判が高い者同士だった。
しかし今では、私は人間と異なる生き物になって草むらの中におり、君は車に乗るような身分に出世して勢いづいている。
この夕暮れのもと、山や谷を照らす月に向かって、私は詩を吟じることなく、ただ吠えるばかり。

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7.臆病な自尊心と尊大な羞恥心

そろそろ夜が明けようとする中、李徴は語り続けた。

虎になった理由が分からないと先ほどは言ったが、思い当たることが無いでもない。
人間であったころ、人は自分を評して傲慢・尊大だと言っていた。だが、人と交わらなかったのは、羞恥心に近い、臆病な自尊心によるものだった。才能が大したことが無いと評価され、傷つくのを恐れていた。

そのせいで、詩によって名を成そうとしながらも、師の下に就いたり、友と交流して切磋琢磨したりすることもなかった。

しかし、なまじ自尊心があるために、官職に就いたままで俗物の間にいることも出来なかった。それは尊大な羞恥心というべきものだった。

李徴は人から遠ざかり、不満と怒りによって心の中の臆病な自尊心という猛獣を肥え太らせることとなった。李徴が心の中で育て上げた猛獣が、彼の姿を心のありようと同じにしたのだ。

8.猛獣の後悔

臆病かつ尊大であったがゆえに、李徴は様々な才能を空費し、ついに虎となってしまった。そのことを思い、後悔と悲しみにさいなまれるたびに、李徴は空に向かって吠えた。

だが、それを聞く生き物は全て恐れるだけで、彼の苦しみを理解してくれるはずもなかった。尊大な虎の様子を見ても、その心の内の苦しみが分からない。それは人間だった時と同じだ。

やがて、李徴の意識が虎に変わるころが近づいてきた。
李徴は袁傪に、嶺南から戻ってきた後に、妻子に自分はすでには死んだと伝え、良ければ彼女らの世話をしてくれるように頼んだ。
もちろん袁傪はこれを快く引き受けた。

李徴は、現在も苦しんでいるであろう妻子のことよりも、失敗した詩作を先に口にした自分は虎になるのも当然だと、再び自嘲した。

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9.永遠の別れ

李徴は袁傪が嶺南から戻ってくる時に、決してこの道を使わないように忠告した。

意識が虎になっているときは、かつての友人であってもためらいもなく襲い掛かることだろう。もしかすると袁傪が返ってくる頃には、李徴としての意識は完全に消滅して、ただの人食い虎になっているかもしれない。

最後に、袁傪が出発して前方にある丘の上に着いたら、そこから虎になった自分の姿を見るように言った。今一度ここに来て自分に会おうという気持ちを、決して起こさせないためである。

別れの涙を残して袁傪は出発し、言われた通り丘の上から李徴と話した林の中の草地を見下ろした。
すると、一頭の虎が草むらから出てきて、咆哮した後に再び草むらへと姿を消した。

 

10.まとめ

中島敦といえば「山月記」だ。

この作品は、アッシリアを舞台にした「文字禍」という作品とセットにして「古潭」という題名で1942年7月に発表され、中島敦のデビュー作となった。
その後も中島は山月記と連作になった「木乃伊」「狐憑」、長編「光と風と夢」などを発表したが、同(1942)年12月に気管支喘息でこの世を去った。
 
中島家では漢学を修めている者が多く、中島自身も東大国文学科から大学院まで進んで文学の研究を行ったため、様々な知識に通じている。そのため、作品の題材は歴史上の話や有名な人物をモデルにした物が多い。

人が虎に変化する「虎人間」「人虎」の話は、古来より中国からインドにかけての虎が生息する地域一帯において、様々な伝承・伝説として見つけることができる。
狼男の様に呪いで虎になるもの、魔術で変身するものなど、いろいろなバリエーションがあるが、いずれも虎であるときは人としての知性や理性を失い、生き物を襲って捕食する点は共通している。

実はこの小説に登場する李徴は中島のオリジナルではなく、唐の時代に書かれた伝奇小説「李徴」の登場人物である。この「李徴」を唐の李景亮という人物が脚色して「人虎伝」を執筆し、世に良く知られるようになった。

山月記は人虎伝を基に書かれた作品で、リメイクのリメイクといったところである。しかし単なる翻訳や焼き直しではなく、物語の要素の付加と入れ替えを行い、不要な部分を削って話の流れを良くする工夫が施されている。

最も大きな要素の変更は李徴が虎になった原因の部分である。
人虎伝では李徴が後家とつきあったことを家人に気づかれ、家に火をつけて焼き殺して逃亡した。元から持っていた残酷な獣性が発露したともいえる。
逆に李徴は内部で膨れ上がった自尊心や屈辱によって獣に変じた。残酷さとはまた違う種類の獣が元になっている。

現代でも、せっかく難関を通って出世への第一歩を踏み出したのに、プライドによって下積みができずに作家や漫画家に転じることを試み、結局挫折して人生を見誤ってしまう人はいることだろう。
内に抱えた臆病な自尊心という虎を、人と交わり、さらけ出し、弱さを認めることで、下積みにいながらもいずれ名を成し有名人になったり、失敗しても元の職場でそれなりの地位になったりすることが出来ることは大いにあり得る。

自尊心は育て方次第で、飢えた猛獣ではなく、立派な強い人物としての虎になるかもしれないのだ。

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