太宰治 斜陽のあらすじ│芯の強いシングルマザーは太宰の愛人の投影
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最終更新日:2023/08/30
太宰治(Dazai Osamu), 文学(Literature), 本(Book)
太宰治の名作「斜陽」のあらすじをお届けします。
この作品では、没落していく貴族の家に生まれたかず子が、気丈に人生の荒波を乗り越えていく。かず子のモデルとなったのは、太宰の愛人の一人であった歌人の太田静子である。
太宰との子が生まれてから半年後の1948年、結核を患っていた太宰は富栄と心中して生涯を閉じてしまう。残された静子は、両親からの勘当、太宰の津島家からの冷遇に耐えながら、男兄弟からの支援を受けつつ炊事婦や寮母として生計を立て、子供を立派に育て上げた。
作品中のかず子はシングルマザーとなり、子供を育てる決意をするが、モデルとなった静子が立派な人物を育て上げたように、困難を乗り越える強さを持っている女性である。
1.没落する華族
昭和二十年十二月。貴族の家に生まれかず子は、母と共に東京から伊豆の山荘に移り住んだ。母はあらゆる仕草が生まれつきに優雅で貴族的な、生粋の貴婦人とでも呼ぶべき女性で、かず子は少なからぬ畏敬の念を抱いていた。
父は十年前に没し、二人は叔父の支援を受けて生きていたが、世の中の仕組みが変わって家族制度は廃止され、父の資産も底をついて生活も苦しくなり始めていた。かず子の下には直治という弟がいるが、徴兵されて今は戦地にいる。
伊豆に移るとき、母は取り乱して泣いた。父が死んだ時も、かず子が嫁に行った後に、夫の山木との関係がうまくいかずに家に帰された時も動じなかった母であったが、生活能力がない自分が資産を失えばどうなるかは、考えるだけで恐ろしいことだったのだ。
伊豆に到着してすぐの頃は、母は体調を崩して高熱を出すことがあった。それでも何とか持ち直し、二人は落ち着いた生活を営みながら四月を迎えた。
2.胸の内に生じた「蝮(まむし)」
四月に入って少し経った頃、かず子は庭で蛇の卵を見つけ、焼いて始末した。その後に出てきた蛇は、卵の母親のように見え、かず子は母に似た雰囲気があると感じた。同時に、かず子は自分の心の中に、その母蛇(=母)を殺してしまうかもしれない醜い蝮がいるような思いを抱いた。母蛇に例えられたかず子の母と、母蛇の卵を焼いてしまったかず子の間には、溝が出来つつあった。
蛇の卵の件があってから、かず子は火の不始末から、薪置き場でボヤを起こした。幸いにも火はすぐに消し止められ、かず子が方々に迷惑をかけた謝罪をして回る程度で済んだ。大抵の人は同情してくれたが、一部の人には強く説教され、かず子の心内に重たい物が残った。
翌日から、かず子は畑仕事を始めた。失態を演じたことで、かず子の中にある「いじわるの蝮」の赤黒い色が血にも混じり、母のような貴族からなお一層離れた田舎娘に近づいたような気がした。力仕事自体は初めてではなく、戦時中は労働力として徴用され、山の中でヨイトマケ※に従事したこともあった。
※地盤を固めるために、滑車で重たい槌を持ち上げて落とす作業。ヨイトマケの多くは女性で、稼ぎの少ない夫を持った妻や、夫に先立たれた妻が家族を養うための仕事でもあった。このことから、ヨイトマケ=日雇いで働く女性という意味合いで使われることも多い
3.かず子の労働
かず子はそれなりに肉体労働に喜びを見出し、世俗的にもなっていった。逆に母は弱々しくなりつつあり、かず子のように畑仕事も出来なかった。
その中で、弟の直治が帰還するかもしれないという話が舞い込んだ。直治は学生時代に麻薬におぼれて借金を作っており、母はその返済には二年も要した。徴兵されて向かった先ではアヘン中毒になっている。帰ってくる以上は中毒を克服しているはずだが、直治は真面目な気質ではなく、精神的にも不安定なので働くことはできない。この山荘で引き取って静養させるしかないだろう。
さらに、新政府の財政確保のために、華族の貯金封鎖、財産税の課税などが為され、叔父も金を送ることが難しくなりつつあった。母も直治も働けない以上、かず子がどこかに嫁ぐか、あるいは奉公先の家を探して働くしかない。叔父が名前を挙げている駒場の家はかず子の家とも縁続きで、お嬢様の家庭教師を兼ねてのことだから、それほど苦労せずに勤められるかもしれない。
だが、かず子はその話を断りたがった。伊豆の家に来たのも、慣れない火事でボヤを出したのも、恥を承知で涙をのみながら村中に詫びて回ったのも、こうして地下足袋をはいて畑仕事をしているのも、すべて母のためだった。その母が、直治が返ってくると聞いたとたんに、もう不要といわんばかりに奉公先の話を持ってきた。
母のためなら家を売って貧乏でも、事務員でもヨイトマケでもする覚悟だったが、それが要らないとされれば、ここにいる意味はない。直治とかず子は性格が合わず、三人で一緒に暮らせばお互い不幸になる。かず子は怒り、ここを出ていくと宣言した。
その夜、かず子の元を訪れた母は、実はかず子を奉公に出す叔父の案を断っていたことを明かした。そして、母とかず子、直治の三人で暮らし、着物をどんどん売って生きていくことに決めた。
4.直治の帰還と小説家の上原
帰還した直治はアヘン中毒こそ脱していた物の、酒飲みになっており、だらしない性格も変わりがなかった。母は舌が痛いと訴えるようになり、直治の進めるままに薬を付けたマスクをしていた。効いているようには見えなかったが、母は大丈夫というばかりであった。
かず子は直治の部屋の中から、彼が麻薬中毒で苦しんでいた時に書いたと思われる日誌を見つけた。そこには、麻薬中毒に至った経緯、世間の偽善の告発と共に、札付きの不良よりも、偽善で固めた「札のついていない不良」こそが最も危険であると批判する内容が書かかれていた。
この日誌を書いたころ、直治は薬物を手に入れるために薬局に多額の借金を抱えており、かず子や母に金の無心を繰り返していた。ある時、直治は自分が世話になっている上原という小説家に金を預けてくれるように伝えてきた。
上原はかず子が金を届けた後、少し話をして別れるときに、突然さっとキスをした。かず子にとってはそれが「秘め事」となり、夫の山木と口論した際に「自分には恋人がいる」と漏らしてしまった。
かず子は以前、細田という画家が描く絵に入れあげて持ち上げ、しょっちゅう話題にしていたことがあった。考えなしに口にした言葉は、かず子が細田と関係し、宿っている子供も細田の子ではないかと疑われる結果を招いた。かず子と山木の関係は破局してかず子は実家に帰され、子供も死産した。
かず子が恋も愛もわかっていなかったときに起きた出来事だった。
5.かず子の恋
夏になると、かず子は上原へと「恋文」をしたためた。ろくに会ったことも無い相手の愛人となって子を産みたいと願うようになっていた。
残った着物を売って食いつなぐ生活は、それほど長い間持ちそうになかった。老年の高名な芸術家の後妻にという話が持ち上がり、実際に芸術家が山荘を訪れたこともあったが、かず子はそれを拒否した。かず子はあくまで、上原と会って、彼の子供が欲しいと願っていた。
かず子は三通の「恋文」を送ったが、上原の返事はなかった。直治は東京に行って酒を飲み歩いては、上原に顧問になってもらって出版業をしたいなどという話をしている。母の体調は悪化し、高熱を出すようになっていた。村の医師はすぐに治ると言っていたが、叔父が東京から呼んだ医者の診断により、結核ということが判明した。
やがて母は目に見えて弱っていった。直治は東京の叔父の家と山荘を行き来するが、十分な支援は受けられそうになかった。家がさらに没落しつつある中で、かず子は「恋」と「革命」に心惹かれていった。上原への恋と、旧来の社会意識の破壊である。
そして秋の暮れに、母はついに息を引き取った。
母の葬儀の後、かず子は上京する直治について上原に会いに行った。上原の妻から話を聞いて、行きつけの酒場を探し回って見つけた相手は、老けてだらしがない容貌になっていた。金持ち連中と付き合って金は持っていたが、小説家としての情熱も失われ、直治のことは貴族出身で生活力もない遊び人としてバカにしていた。
そんな上原を前に、かず子の恋心はすっかり冷めてしまった。しかし、行くあてもない彼女は、屈辱を感じながらも、上原と一夜を共にした。
翌日の朝、直治は自宅で自殺した。
6.直治の死
直治の遺書には、うわべだけ上品な貴族社会に嫌悪を抱き、庶民と同化しようとして、あえて酒や麻薬といった退廃的な道を進もうとした心情が書かれていた。だが、享楽的な物に溺れようとしても実際には楽しむことは出来ず、庶民にもなり切れず、貴族のままの自分に疲れていた。同時に、ある芸術家の妻に対する、実らない恋心のことも記されていた。
唯一自分のことを気に留めてくれる母も死に、強さを秘めた姉の重荷にしかならない以上、直治は自分が生きていく価値はないと考え、かねてから手に入れていた薬物で命を絶ったのだった。
7.かず子の革命
直治の死の後、かず子は望みどおり上原の子を宿したことと、それを知ってか知らずか、上原が自分から離れていったことに気が付いた。だが、かず子は恨めしく思うつもりも、上原のだらしなさを憤るつもりもなかった。
かず子は一人でも子供を産み、共に生きていくことを決意していた。不倫の子を産んだシングルマザーを悪とみる旧来の価値観と戦い、それをものともせず太陽のように生きていくことこそが、かず子にとっての革命であった。
8.まとめ
斜陽とは夕方になって傾いている太陽のことで、作中では没落していくかず子らの状況を示している。「斜陽」が発表された直後、大戦終結の影響で急速に没落してゆく上流階級の人々のことを示す「斜陽族」という言葉が大ブームとなり、現在では辞書に「斜陽=没落・衰退」という意味が付け足されるほどとなった。
主人公であるかず子のモデルは、太宰の愛人の一人であった歌人の太田静子である。太宰は小説の題材の提供を受けるため、1947年に当時交際中であった静子の家を訪れ、日記を借り受けました。静子はかなりの名家の生まれで、父の死後、母子で叔父を頼って引っ越し、結婚と子供の早世、離婚などを経験した。彼女が実際にたどった人生の要素が、斜陽の中に散見される。
太宰は当初、自分の実家の津島家をモデルとして、貴族の没落をテーマとして描いた、ロシアの劇作家チェーホフの「桜の園」の日本版を作る予定でいた。しかし、執筆期間中、静子が太宰との間に子供が出来たことを告げに訪ねてきたため、話の筋が貴族の没落から外れ、かず子の恋と決意へと変化した。
太宰には本妻の津島美智子、もう一人の愛人の山崎富栄がおり、静子の相談から逃げ回り、彼女を激昂させた。それでも子供が生まれると、静子の弟を通じて認知をし、養育費を送っている。この二人の間に生まれた子が、作家の太田治子さんである。
斜陽が完成してから1年後(子が生まれてから半年後)の1948年、結核を患っていた太宰は富栄と心中して生涯を閉じた。
残された静子は両親からの勘当、津島家からの冷遇に耐えながら、男兄弟からの支援を受けつつ炊事婦や寮母として生計を立て、治子さんを育て上げた。
斜陽が発表された時、静子がかず子と同じように、旧来からの価値観と戦いつつ立派な娘を育て上げる革命者のような人物になることを、太宰が見通していたわけではないだろう。しかし、静子は戦前より前衛的な詩歌や小品(しょうひん)文(ぶん)を発表していたバイタリティあふれる女性であった上、子供が出来たことを告げたときに自力で生活費を得る決意表明をしたことが、かず子が「革命家」を目指す描写へとつながったのかもしれない。
かず子以外の登場人物の設定は、太宰治本人の投影と考えられる。学生時代に薬物中毒になった経験は直治、結核による衰弱はかず子の母である。上原については言うまでもない。
それぞれの人物がたどった結末から言えば、「斜陽」は明るいとはいいがたい作品である。ただ、かず子のこれからの人生が少しでも良い方に進む可能性が残されている部分に、救いがわずかに見出せる。モデルとなった静子が立派な人物を育て上げたことを考えると、全く救われない結末というわけでもなさそうだ。
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