ゴーゴリ 外套のあらすじ│平凡な役人が陥る喜劇めいた悲劇
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最終更新日:2023/08/30
文学(Literature), 本(Book)
『外套』はゴーゴリの執筆活動における最後期の1940年に書かれ、1942年に発表された作品である。
ペテルブルグの一見どこにでもいそうな平凡な役人、アカーキイ・アカーキエヴィッチの生活を描き、それがただ喜劇的な滑稽さだけではなく、喜劇を昇華して悲劇に仕立て上げてある。そして悲劇のなか主人公が死亡した後にも物語は続く。
**目次**
1.冴えない役人 アカーキイ・アカーキエヴィッチ
ペテルブルグ(1914年までのサンクトペテルブルクの名称)のある役所に、背丈がちんちくりんで顔には痘痕(あばた)があり、髪は赤茶け、目がしょぼしょぼしていて、額は禿げ上がり、顔色は痔(じ)持ちらしい、その容貌からしてうだつが上がらなそうな万年九等官の役人がいた。その名はアカーキイ・アカーキエヴィッチ。
アカーキイ・アカーキエヴィッチという妙な名前の由来は、当時元老院の古参事務官であったイワン・イワーノヴィッチ・エローシキンの細君で、アリーナ・セミョーノヴナ・ピュロヴリューシコワという善良な夫人が、どうしようもない状況で名付けたものである。
彼がいつ、どういう時に官庁に入庁したのか覚えている者がおらず、彼の様々な上司たちが幾人となく更迭されても、彼は相も変わらず同じ席で、同じ地位で、同じ役柄の文書係を勤めていたので、しまいには皆が、てっきりこの男はちゃんと制服を身に付け、禿げ頭を振りかざし、すっかり用意をしてこの世へ生まれてきたものに違いないと思い込んでしまったほどである。
同僚からのいたずらやからかいに対して彼は「構わないで下さい!何だってそんなに人を馬鹿にするんです?」と言うだけであった。
彼は役所で文書係をしていたが、ただの一つも書類に書き損じをしなかった。
ある上司が、彼の真面目な仕事ぶりを評価し、ただの写生係より何か有益な仕事を彼に与えたいとの温情で、他の役所へ送るための報告書をつくる仕事が彼に課せられたが、彼にとってそれは大仕事で、結局自ら元の写生係に戻ってしまった。
2.アカーキエヴィッチ アルコール中毒の仕立屋ペトローヴィッチ宅へ赴く
ペテルブルグの役人がそれぞれ貰う給料で、女性にプレゼントする帽子の品定めをしたり、出会いを求めて劇場へ行ったり、長パイプでタバコを吸ったりする、いわば一般的な逸楽(いつらく)にアカーキイ・アカーキエヴィッチは全く興味を示さなかった。
彼は仕事を終えるとすぐさま帰宅し、味もこだわりもない食事をそそくさと済ませ、家に持ち帰った書類を書き写しにかかるのである。そして心ゆくまで書き物をすると、明日はどんな書き物の仕事があるだろうと、期待に胸を膨らませながら床に就くのだった。
(photo by pixabay)
ペテルブルグの冬の寒さは想像を絶する。
いつものように決まった道を通り、役所に向かっていた時、アカーキイ・アカーキエヴィッチは背中と肩の辺りに風が強く吹き抜けるのを感じ、家に帰ると外套を調べた。彼は外套の背中と両肩の布地が薄くなっているのを発見した。
アカーキイ・アカーキエヴィッチの外套は、同僚から嘲笑の的になっていた。あまりにもボロボロで彼ら曰(いわ)く「外套」ではなく「半纏(はんてん)」と呼ばれていたその外套は、何度も誂(あつら)え直してあるため、無様(ぶざま)で見苦しいものになっていたのである。
アカーキイ・アカーキエヴィッチは外套を仕立屋ペトローヴィッチのところへ持って行かねばならぬと考えた。ペトローヴィッチはグレゴリイと呼ばれていて、ある家の農奴であったが、農奴解放の令が出るや否や、自らをペトローヴィッチと名乗り、したたか酒を飲むようになった。飲酒は、最初のうちは大みそかに限られていたが、何かと理由を付け、祝祭日だろうがそうでなかろうが、見境なしに酔うようになった。
ペトローヴィッチが針の穴に糸を通そうとしていて、それがどうもうまくいかず機嫌が悪いところに、アカーキイ・アカーキエヴィッチは訪問してしまった。
彼は思わず
「やあ、今日は、ペトローヴィッチ!」
と声をかけてしまった。
ペトローヴィッチは、相手がいったいどんな獲物を持ち込んできたのか如才ない様子で確認しながら
「これはこれは、旦那!」
と言った。
それに対しアカーキエヴィッチは
「実はその….あの…」
などと全く要領を得ない口調で話し始め、なんとか自分の「半纏」を直してもらえないだろうかとペトローヴィッチに頼んだが、ペトローヴィッチに
「もう繕いはききません。酷いお召し物です」
と、ニベもなく言われてしまった。
ペトローヴィッチが言うには、この「半纏」はどこを見ても見事に擦り切れており、新しく布をあてるところが見当たらないので、外套を新調するしかないということである。
外套の値段は150ルーブリ、頭巾を絹にすれは200ルーブリかかるという。
ほうぼうの体(てい)でペトローヴィッチ宅を後にしたアカーキエヴィッチは、自宅に戻り考えた。
「ペトローヴィッチが機嫌の悪い日に頼んでしまった。彼が機嫌のよい日に行き、それこそ10カペイカでも握らせようものなら奴さん、きっとおとなしくこちらの言うことを聞くに違いない」
と。
そこでアカーキエヴィッチは土曜日のある日、再びペトローヴィッチ宅へ赴いて、例の外套の件を頼んだが、けんもほろろに断られてしまった。この時彼は外套を新調しようと固く心に決めたのである。
3.外套を新調しようと決意 しかし金の工面に困り果てるアカーキエヴィッチ
外套を新調するのに最低でも80ルーブリかかると算段したアカーキエヴィッチは、貯めていたへそくりを取り出し、そこから40ルーブリかき集めた。残り40ルーブリもの大金をどうやって工面したら良いのだろうと考えたアカーキエヴィッチは、日々の生活費を節約するほかはないと決め、実行に移した。
(photo by pixabay)
最初のうちは困難であった節約生活であったが、やがて新しい外套ができるという希望を心に抱き、身を養っていた。さらにその希望が、彼の生活を充実したものと変えて、まるで結婚したかのように、平静な生活を営んでいるように見えた。ペトローヴィッチのもとへ、新しい外套の生地はどれが良いか相談しに行くことも多々あった。
そんな充実した生活をしているアカーキエヴィッチに、局長から思いもかけない賞与が与えられた。せいぜい40ルーブリか45ルーブリだと思っていた賞与が、なんと60ルーブリもの大金だったのである。局長が、アカーキエヴィッチの外套、いや半纏のことを気にかけてこのような大枚をはたいたかは知る由もないが、そんなわけでアカーキエヴィッチは、どうにかこうにか残りの40ルーブリを用意できたのである。
4.「半纏」から「外套」へ 念願の新しい外套完成!!同僚たちと記念の祝杯
さらに幾日か過ぎたのちに、ペトローヴィッチは出勤前のアカーキエヴィッチのもとへ外套を届けに来た。ちょうど出勤前の朝であった。恐らくアカーキエヴィッチの生涯においてこれほど待望の日、厳かな日は他になかったに違いない。
仕立て代としてペトローヴィッチは12ルーブリ取ったが、これが他の仕立屋だと75ルーブリはふんだくられるところだと、アカーキエヴィッチに吹聴することを忘れなかった。
その外套は体にピッタリと合い、袖の具合も良く、羅紗や裏地がこの上なく素晴らしい生地であった。
新しい外套を着込み役所に出勤したアカーキエヴィッチを待っていたのは、同僚からの祝辞やお世辞であった。そのうちに同僚たちがアカーキエヴィッチの外套新調のお祝いをしようと言い出し、副課長の家で祝杯をあげることに決まった。
祝杯をあげる日、副課長の家に行く途中にアカーキエヴィッチは不思議な感慨に耽った。
もうしばらくの間、夜の街に出ていなかったためである。
彼は物珍し気に明るい店の飾り窓の前に立って一枚の絵を子細に眺めたり、身なりの美しい婦人を見たりしながら、やっと副課長の家にたどり着いた。
アカーキエヴィッチの姿を認めた同僚たちは、ワッと歓声をあげて彼を迎えたが、間もなく彼も彼の外套も相手にされなくなった。アカーキエヴィッチは退屈し始めたので、無理やり飲まされたシャンパンを飲み干すやいなや、外套を引っ掛けペテルブルグの寒空へと降りて行った。
5.往来で奪われた外套 警察署長の不条理な対応にアカーキエヴィッチは嘆く
街は明るかった。
上機嫌で歩いているアカーキエヴィッチは、荒涼とした空き地に近づいた。
その辺りには、まるで世界の果てにでも立っているかのような寂しい交番があった。
アカーキエヴィッチは不吉な予感がし、後ろを振り返ったり左右を見まわしたりしたが、そこには何もなかった。やがて広場の端へ来たのではないかと思った矢先、ヒゲを生やした賊が立ちはだかっていた。
賊は
「やい、この外套はこちとらのもんだぞ!」
と言い、彼の襟を引っ掴んだ。
彼は悲鳴をあげようとしたがその時、もう一人の賊が彼の口元へ拳を突きつけた。
彼は外套を剥ぎ取られ、雪の上へ仰向けに転倒した。
彼は絶望のあまり泣き喚きながら交番目指して駆け出した。
交番にいた巡査は先ほどの様子を見ていたが、あの二人は彼の友人だと思ったらしく、なんの注意も払わなかった。
悲しみに打ちひしがれて帰宅したアカーキエヴィッチは、宿の主婦である老婆にことの一部始終を話した。すると老婆は駐在所や警部のところへ行くのではなく、直接署長のところに行けと言った。
老婆の炊事婦をしていたアンナという女性が、今は署長の乳母に雇われているので、アカーキエヴィッチに署長を紹介できるということである。
翌日アカーキエヴィッチは署長の家へ出かけて行ったが、署長はまだ眠っているということだったので、改めて10時に行ったがまだ寝ているという。11時に行くと署長は出かけてしまったらしい。
玄関に待機していた書記に、何の用事で来たのか問われたアカーキエヴィッチは、ここぞとばかり一世一代の気概をみせ、
「自分はじきじき署長に面会する必要があって来たのだ。自分を通さない権利などは君たちにありはしない」
と言い放った。
そうすると書記の一人が署長を呼びに行った。
署長と面会したアカーキエヴィッチだったが、署長は事件の要点にはいっこうに注意を向けないで、いったいどうしてそんなに遅く帰ったのか、いかがわしい場所にでも寄っていたのではないか、などと問いただし始めた。
外套の一件が正しい措置が取られるのか疑ったアカーキエヴィッチは、要領を得ないままそこを立ち去った。
その日彼は役所に出勤しなかった。
6.ある有力な人物に外套の一件を相談するアカーキエヴィッチ
翌日彼は真っ青な顔をして、おなじみの「半纏」を身に付け出勤した。同僚たちに外套が奪われた話をすると、彼のために義援金を集めることになったが、集まった義援金はごく少額であった。
すると同僚の一人が
「或る有力な人物に頼ることだ。その有力な人物なら、方々適当な方面と連絡を取って、この訴えが首尾よく運ばれるようにしてくれるだろう」
と言った。他にどうしようもないのでアカーキエヴィッチはその意見に賛成し、有力な人物のところへ出かける決心をした。
その人物はつい最近に有力者になったらしく、どんな職業やどんな役職に就いているかなど全く分からなかった。彼は自分が思っているほどの有力者ではなかったが、彼自身、自分はかなりの有力者だと思い込んでいた。
彼の主義は『厳格』という言葉に表れていた。彼が部下と話をしている時でもひたすら厳格を保ち、さらに「言語道断でないか?いったい誰と話をしているのか分かっとるのか?」と言う始末であった。
アカーキエヴィッチが有力者を訪問したのは、ちょうど有力者が幼馴染と歓談中の時であった。忘れかけたころに有力者に呼ばれたアカーキエヴィッチは、普段よりさらに《その》を連発しながら、外套が非道なやり方で強奪されてしまったこと、今日訪問したのはあなたからしかるべき筋に連絡して、外套を探していただきたいがためであると説明した。
すると有力者は
「君は物事の順序というものを知らんのか?こういう場合にはまず事務課へ願書を提出すべきであって、直接私のところへ来ても何の意味もない」
と言った。
アカーキエヴィッチはなけなしの勇気を振り絞り
「閣下、わたくしがたってお願いしますのは、実は、秘書官などと申します者は、全くあてにならない者ばかりで」
と言った。
有力者は威丈高な声で
「なんだと?君はどこからそんな精神を仕込んできたのだ?君はそんなことをいったい誰に向かって言っているのか分かっているのか?」
と言い、その場でドシンと足を踏み鳴らした。
びっくり仰天したアカーキエヴィッチはそのまま気が遠くなり、駆け付けた守衛によって運び出された。彼はどうして階段を降りたものやら、少しも覚えがなかった。吹きすさぶペテルブルグの街を、口をぽかんと開けたまま、帰途に着いた。
7.アカーキエヴィッチの哀れな死 死後も這い回るアカーキエヴィッチの精神
生涯に一度として長官から、しかも他省の長官から叱責されたことのなかったアカーキエヴィッチは、扁桃腺を冒され、たちまち全身に浮腫(むく)みが来て寝込んでしまった。
医者が彼のもとに来たが、脈を取ってみただけで、すでに助からないことは明白であった。医者は宿の主婦に棺(ひつぎ)の用意をするように言った。しかも高価な槲(かしわ)の棺でなく、貧乏な彼にお似合いな安い松の木の棺を。
アカーキエヴィッチは高熱のため、夢幻の境を彷徨していた。
うわごとで
「悪うございました、閣下」
などと言ったりするが、彼の発する言葉のすべて、彼が奪われた悲劇の外套に関するものばかりだった。
程なくして彼は息を引き取った。
遺品は鵞(が)ペンが一束、白紙の公用紙が一帖、靴下が三足、ボタンが二つ三つ、そしてご存知の半纏。こうした品が何人に渡ったかは知る由もない。
しかしアカーキイ・アカーキエヴィッチの物語は彼の死亡で終わったわけではなく、後日譚がある。
カリンキン橋のほとりや、そのずっと手前の辺りまで、夜な夜な官史の風体をした幽霊が現れて、猫の毛皮であろうが、ラッコの毛皮であろうが、ありとあらゆる素材でできている外套を全て剥ぎ取ってしまうという噂が立った。某局の官史はその幽霊を見て、たちどころにそれがアカーキイ・アカーキエヴィッチであることを認めた。
勇敢な警官がその幽霊を逮捕、処罰しようとし、一度は二人がかりで捕まえたが、警官の一人が嗅ぎたばこを鼻の穴に入れた途端、幽霊がくしゃみをしたため、目つぶしをくわされてしまった。その間に幽霊はどこかへ立ち去ってしまった。それ以来警官は例の幽霊を見ても「おい、こら、さっさと行け!」などと怒鳴るのが関の山になってしまった。
8.有力者に忍び寄る幽霊 迎える結末
アカーキエヴィッチが悲劇の死を遂げた直接的な原因である有力者は、心の底から悪人ではなく、そこには一抹(いちまつ)の善心が潜んでいたので、アカーキエヴィッチのことが頭から離れなかった。そこで有力者は部下にアカーキエヴィッチの様子を探りに行かせたが、彼はそこで初めてアカーキエヴィッチ急逝の報告を受けたのである。
愕然とした彼は少しでも気を紛らわそうと、或る友人の夜会へ出かけて行った。そこで自分と同等の身分の者と歓談しているうちに次第に上機嫌になり、心の堅さがほぐれていった。気分が良い彼は、普段仲良くしているカロリーナ・イワーノヴナという女のところへ行こうと腹を決めた。
馭者に行き先を告げておいて、彼は先ほどの楽しい時を思い出し、一人感慨に耽っていた。すると突風とともに纏っていた外套の襟が巻き上がった。突然、襟を掴まれたような気がした有力者は思わず振り返った。そこにはぼろぼろの洋服を身に付けた男がいた。
果たしてその男はアカーキイ・アカーキエヴィッチであった。
かつてアカーキイ・アカーキエヴィッチであったその男は
「いよいよ貴様の首根っこを押さえたぞ!おれには貴様の外套が要るんだ!」
と言い、有力者の身に付けていた外套を剥ぎ取った。
普段役所で、部下の前で毅然とした態度をとり「何と立派な人物だろう!」と畏敬の念を払われていた有力者だったが、今回ばかりは慌てて外套を脱ぎ捨て、
「早く家へやれ!」
と馭者に言いつけた。
家に着いた有力者の顔は蒼ざめ、戦々恐々(せんせんきょうきょう)たる有様だった。
このできごとがあってから有力者は例の
「君の前にいるのが誰だと思っているんだ!」
というセリフを、以前よりは部下に浴びせなくなった。そしてこれ以来、役人の幽霊が姿を現わさなくなった。恐らく、彼にピッタリ合う外套が見つかったためであろう。
9.まとめ 現代にも生きる風刺の物語 笑劇(ファルス)としての悲劇
『外套』でゴーゴリは、市井に暮らす平凡な役人の精神遍歴を描いた。
役所の誰からも相手にされず、まるでそこにいるのかいないのか分からないような存在感のない主人公、アカーキイ・アカーキエヴィッチの外套をめぐるこの物語は、単なる一役人の平凡な人生を描き出すだけではなく、そこにゴーゴリ独自のユーモラスな視点が添えられている。
物語は、つましい暮らしをしている主人公の外套がボロボロになり、外套を新調することで喜劇を迎える。その後すぐに新調した外套が何者かによって奪われてしまい、手を尽くして取り戻す計画を立てるが、ことごとく失敗する。挙句の果てに長官から怒鳴られ、彼は体の具合を悪くし、遂には死亡してしまう。ここで悲劇が完成されるが、物語はここで終わらない。
非業の死を遂げたはずの主人公がペテルブルグの街に現れ、あらゆる人のありとあらゆる外套を奪っていく。
重要なのは本編ではこの主人公のことを『幽霊』と表現しているが、文字通りの幽霊ではなく、『彼自身の精神が具現化したもの』と読み替えれば、この物語の高貴な精神性が立ち現れてくると思う。
最後にこの幽霊は、有力者の外套を奪う。そしてそれ以降彼の幽霊の目撃情報は消える。
しかし物語の最後に、ペテルブルグから遠い町に彼の幽霊が現れたという一文がある。
この終わり方は、彼が完全に消えてなくなったわけではなく、彼のような人間もしくは彼のような幽霊がまだ、ロシアの至るところにいるのだ、ということを示唆している。
この最後の段落は、当時の平凡な市民の不条理を描き出しているが、これは現代にも通じる不条理である。
ただの悲劇で終わらないこの物語は、復讐するために生身の人間を使うのではなく、幽霊となって復讐する場面によって、悲劇をエスプリの効いた笑劇に変えているゆえんだと感じる。
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