宮尾登美子 蔵のあらすじ│過酷な運命を生き抜く女たちの物語

蔵は宮尾登美子の代表作で、越後の国の蔵元を舞台に、盲目となる少女・烈を中心に、さまざまな境遇を持つ女たちが、過酷な運命を生き抜き、織り成す人生を描く長編作品である。

生を受けた者は成長するにつれ、希望と絶望、夢とあきらめ、自身の可能性の取捨選択といったものを、喜びや悲しみを持って経験し、大人へと成長していく。

本人の生まれ持った家柄や遺伝的な特質などにより、望む望まないにかかわらず、人はそれぞれ違う道を歩んでいくのであり、蔵では、登場人物たちが歩むそれぞれの人生を、運命の荒波に揺られ、抗いながら、それでも気丈に、そして逃れられないものとして描いている。

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1.列の誕生とそれまでの田之内家

大正八年一月の末、吹雪の夜に田之内家に女児が生まれる。

(photo by pixabay)

女児の父、田之内意造(たのうちいぞう)は新潟県中蒲原(なかかんばら)郡亀田町の半分の土地を有する大地主であり、意造の父の代から始めた酒造業の蔵元であった。意造の妻、賀穂(かほ)は姑のむらの強い希望でむらの実家のある新発田(しばた)から嫁いできたが、十九才で嫁いで以来、八人の子を流産、早産、夭折で失っていた。三十三才の女の厄年を迎えていた賀穂は体力気力ともに弱っており、意造は九人目の女児こそ無事に成長することを祈念し、「烈(れつ)」という名前をつける。

意造の父三左衞門(さんざえもん)は田之内家の三男であったが、長男が早逝、次男の二郎右衛門は遊興を好む性格であったため親から北山の地に分家させられており、三左衛門が明治五年に家督を継いだ。
新発田の回船問屋からむらをめとった三左衛門は、地主として家産を減らさぬ為に酒造業に着手しようと考える。しかし、四人いた子供のうち三人の娘を結核で失い、三左衛門とむらは数年のあいだその打撃から立ち直れず、酒造業への着手がおくれた。

たった一人の息子であった意造は、そのあいだに学問に打ち込み、希望通り東京帝国大学工学部を卒業する。悔いなく学業を修めた意造は、大地主の一人息子として父親の右腕となることに躊躇はなかった。三左衛門は、兵庫県多紀郡から大貫梅次(おおぬきうめじ)という杜氏を見つけて酒造に着手、できあがった酒は「冬麗(とうれい)」と名づけられた。

意造の母むらは、新発田のろうそく問屋の次女佐穂を意造の嫁にしたいと望み、ある日仲人のおばあさんに連れられて彼女の姿をかいま見る。その清楚な美しさに一目で惚れ込んだむらは、さっそく仲人を通してろうそく問屋の佐野家を訪ねる。

ところが、茶を運んできた佐穂は以前に見た美しい少女とはまったく姿を異にしていた。実はむらが惚れ込んだのは長女の賀穂であったことが判明する。佐野家は、一人息子が病弱のため、長女の賀穂に養子をとってあとを継がせることに決めていたのだった。
仲人は他にも縁談を持ち込むが、なぜかむらは賀穂にこだわり続け心が動かない。

三十路を前にした息子の縁談が決まらないことを悩むむらであったが、明治三十七年正月、三左衛門が雪の中で倒れて急死する。むらは、分家した北山の二郎右衛門を頼り、改めて佐野家に直談判し、意造の嫁に賀穂を迎えることに成功した。

婚礼が行われたのは明治三十八年の九月で、意造と賀穂の美しさに婚礼に参列した人々は息をのむ。賀穂は、むらが望んだとおり従順でけなげでよく働く嫁であったが、体が弱かった。まもなく身ごもったものの、長女の忍は三ヶ月で亡くなり、その後十五年のあいだに併せて8人の子がことごとく育たなかった。

こうしてようやく授かった九人目の烈には、いつものように一滴も乳が出ない賀穂のかわりに年の若い乳母がつき、烈はすくすくと育っていった。それと代わるように賀穂の体調は悪くなる一方であった。

家事、育児に支障を来している賀穂の体調を見て、むらは烈の誕生一年の祝いに訪れた佐穂にしばらく手伝いに来てほしいと懇願する。賀穂より一歳年下の佐穂は、器量は十人並みなのになぜか縁遠く、そのまま実家に暮らしていた。

むらの願いを賀穂は手紙で実家に伝え、佐野家はそれに対して賀穂の病身を田之内家に詫びて快く佐穂を送り出す。これを機会に、賀穂は佐穂と烈と一緒に夜は寝るようになり、意造とは寝室を別にする。物静かで従順な佐穂はあっというまに田之内家にとけ込み、賀穂も烈も佐穂なしでは過ごせないほど頼りにするようになる。佐穂自身も、実家で嫁かず後家と後ろ指を指されるよりは、姉と姪と過ごす田之内家での生活を愛するようになる。

烈は無事に五才を迎え、聡明で美しく育っていく。その頃から賀穂は異常なまでに烈を自分のそばから離したがらないようになった。

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2.烈の目の異常

大正十三年、烈は六才を迎える。
意造は、烈が異常に夜を怖がることに気がつくが、女の子にはありがちなことと気にしてはいなかった。

しかしその年の秋、外出から帰った意造は、烈が膝を曲げてすり足で歩き佐穂の袂をつかんでいないと方向も定められない様子を目にする。電気の下で、意造は烈に目について尋ねると、烈は夜は真っ暗でなにも見えないと答える。意造は驚き、賀穂に相談をするが、烈のことになると素直さを失い向きになる賀穂は、烈の目が悪いはずがないと意地になって反論する。

(photo by pixabay)

翌年の春から小学校に上がる烈のために、カバンや着物が一室に揃い始める。賀穂は、烈を手放すことに不安を隠せないが、聡明な烈は学校に行くのをひたすら待ちわびる。

ある日、風邪を引いた烈は、かかりつけの医師常石先生の往診を受ける。
父親との会話で自分の目について不安に思ったのか、烈は医師に目のことを尋ねる。その症状から、医師は列が夜盲症ではないかと両親に告げる。

常石医師の薦めで、意造は烈と佐穂を連れて新潟の眼科に赴く。
医師は、夜盲症の原因は近親結婚という以外わかっていないと意造に告げるが、意造と賀穂はそれにあたらない。しかし意造は、佐野家に夜盲症の遺伝子の持ち主がいたのではないかと疑い、賀穂を責め立てる。

あいだに入ったむらは、賀穂を嫁にもらうさいの調査では佐野家は欠けることのない家系であることは証明されているし、田之内家の先祖をたどれば夜盲症の人がいたかもしれないと意造をなだめた。しかし、むらは「私の知っている鳥目の方は、皆が皆、まもなく昼もみえのうなったったわ」と話し、意造と賀穂は絶望する。

意造は家産と商売をなげうってでも烈の目を治したいと思い、東京帝大の付属病院に行く決心をする。意造と烈、佐穂が留守の間、七十六才のむらは孫娘の快癒を祈って越後三十三カ所の巡礼の旅に出る。

帝大の付属病院の医師は冷酷で、烈の目の前で「いずれ失明」と宣告する。
それに深く傷ついた烈は、東京の宿に籠りきりになる。

意造は、日本語だけではなくドイツ語の医学書を買いあさり、八目鰻が眼病に効くこと、眼鏡をかけることで昼間の視力を補えることを知る。いずれも、気休めでしかないものの、意造は列のために舶来の高価な眼鏡を二つ購入する。

しかし、いずれ失明すると聞かされた烈の気持ちは沈んだままで、小学校に通わせてもらうことを条件に眼鏡をかけることを承諾する。意造はさらに、別の医師のところにも連れて行きたいと望むが、佐穂はこれ以上烈が傷つくことを怖れ、強く反対した。

三人が東京から戻ると、巡礼先で倒れたむらが家に寝かされていた。
高齢のむらを巡礼に旅立たせた賀穂を意造は攻め、賀穂はむらの決意を止められなかったことを詫びる。賀穂も帝大病院の結果を知り肩を落とすが、もはや夫婦はなぐさめあう気力もなく、夫婦仲もぎくしゃくとし始める。

むらは寝たきりとなり、己の運命を知った烈も賀穂に反抗的な態度をとる様になる。
賀穂自身も体調が思うに任せず、意造だけが蔵の仕事で忙しくしていた田之内家だが、大正十四年三月、ついに「冬麗」は腐造を出してしまう。その片付けにおわれる意造は、近づく烈の小学校入学を思い、嘆息する。

杜氏の梅次は、腐造の責任をとって田之内家を去る。
意造は、烈の目の治療のことだけが自分の心を占めていたことを思い、杜氏と蔵元が心をひとつにできなかったことが腐造の原因だと梅次に告げ、彼に暇を出す。
次々やってくる困難の気晴らしをしようと、意造が新潟古町の料理屋にあがる。そこで、寺泊街野積出身の振袖妓(ふりそでこ)せきに出会い、その素朴で垢抜けない様子に心を和ませた。

頼りにしていた北山の伯父二郎右衛門も老衰の様子を見始め、意造はしかたなく賀穂に烈の小学校入学について相談する。
賀穂は、自分がむらのあとをついで巡礼の旅に出て、烈の目を治してみせると宣言し、意造は怒りを抑えきれない。

意造は、烈の将来のことはとにかく、今は入学の喜びを味あわせようと決心した。しかし入学式当日、烈は泣きながら「学校には行かない」と家族に告げる。
幼いながらも誇り高い烈自身が、悩みに悩み、不自由な目では学校で抜きんでた成績は残せないことを予感し、出した結論であった。
意造は烈の思いをくみ取り、学校の籍を取り消すよう校長に頼みにいく。

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3.賀穂の死

意造の反対を押し切り、賀穂は三十三カ所の巡礼に出る。その前の晩、賀穂は意造の居室を訪れ、自分になにかあったら佐穂を後妻に迎えてほしいと遺言する。

十番まで札所をまわった賀穂は、塩沢の駅で倒れ入院してしまう。急ぎ病院に駆けつけた意造だが、賀穂の衰弱は激しく肺炎で世を去ってしまう。

寝たきりであったむらは、賀穂の亡骸が家に帰るとどんなことがあっても別れがしたい、と寝床から起き上がりその亡骸をなで涙を流す。その昔、むら自身が賀穂に惚れ込んで嫁に来てもらったこと、次々と子供をあの世に送りともに泣いたことを思いだし、むらは涙が止まらない。

三十九才の賀穂を送った田之内家はまたしめっぽくなるが、むらは気力で少しずつ回復する。そして、賀穂の遺言を守ろうと、佐穂を意造の後妻にすることを強く意造に進めた。佐穂自身、田之内家でひっそりと暮らすうちに、意造への思いを温めており、姉の死を心から悲しみながらも、むらから直接その縁談を聞くと喜びが抑えきれない。

賀穂の四十九日、一周忌に、むらは佐野家の手前も考えて、意造に佐穂を後妻に迎えるよう強く迫るが、意造はふたたび酒造業に戻る決意とその多忙をむらに告げ、佐穂を迎えることを肯(がえ)んじない。
しかしむらは、佐穂がいずれ意造の妻となる人と周囲にもわかるよう、佐穂を奥のおっかさまとして扱うようになる。

意造は、自ら野積に出向いて見つけてきた杜氏平山晋(あきら)とともに酒造りに戻れる喜びの余勢で、烈に学問を教えようとするが、佐穂とむらに甘やかされて育ってきた烈はすぐに根を上げてしまう。

これ以上待てない、と再婚を迫るむらに、意造は古街の小芸妓のせきと結婚すると告げる。
十七才というせきの年齢と職業をきいて、むらは卒倒してしまう。佐穂の気持ち、佐野家への体面、田之内家の家柄を考え、むらは猛反対する。が、五十才にして初めて自分の意志を通そうとする意造は、むらの体調が気になりながらも佐穂を迎える気はない。その心の奥底には、佐野家の娘と結婚すればまた障害のある子供が生まれるのではないかというおそれがあった。

顔立ちも気質も凡庸なせきは、この縁談を固辞する。
籍を養女にしている置屋のおかみも、せきは大家のおっかさまはつとまらない、と意造に翻意を促す。が、意造は「この娘を苦界から救ってやろう」という気持ちがはやって、むりやり縁談を承諾させる。

ある日、意造は佐穂にようやく、自分は佐穂と再婚の意志はなく、せきという十代の若い芸妓を妻として迎えることを告げる。それは、わがままに育っている烈の自立のためでもある、と理由も告げる。
佐穂はなにも言わずに、意造の前から去る。意造は、烈にもその旨を告げるが、烈の関心事はこのまま佐穂とともに過ごせるかだけにあった。

4.意造の再婚

意造の結婚式の準備は、むらも佐穂にも相談できないため、意造も番頭女中にいたるまでてんてこ舞いとなる。
結婚式の当日の朝、佐穂は人知れず実家の新発田に戻ってしまう。
カタカナで書かれたお別れの手紙を読み、烈は泣きながら今から新発田に佐穂を迎えに行くと言って聞かない。烈にとって母親代わりは佐穂しかあり得ないと意造に訴える。

女中のおつまは長年田之内家に仕えており家の事情がわかっていたため、烈をなだめて自分が佐穂を連れ戻しに行くからとその場をおさめた。佐穂のいない家で、不機嫌に父親の婚礼に参加した烈だが、せきにはまったく親しもうとはしない。

戻ってきたおつまは、佐穂よりも佐野家の当主で佐穂の弟武郎(たけろう)が立腹していて、意造自ら釈明に来ることを望んでいるという。翌朝、待ちきれない烈はおつまを一人お供に連れて佐穂のもとに向かう。

新妻のせきは、田之内家の縁戚が自分に向けてくる厳しい視線に耐えきれず、意造の苦悩など思いも及ばなかった。意造は意を決して、烈と佐穂を迎えに新発田に向かう。

待ちわびていた武郎は、賀穂の遺言を反故(ほご)にした意造を攻める。
意造は、賀穂の遺言は正式なものではなく、生き残ったものの気持ちを忖度(そんたく)していなかったものだからと言い訳するが、佐穂の処遇については心を悩ます。

武郎は、長い間田之内家に献身してきた佐穂を意造の妻として入籍してほしいと懇願する。実質的な妻であるせきは、これからさまざまな恩恵を受けるだろうが、佐野家の娘である佐穂が後妻のせきに田之内家内で劣ることは我慢ができない、と本音を訴える。

意造は武郎の気持ちを理解し、自分の死後のために田之内家の財産は烈に大半を、そして佐穂とせきには応分に遺言に書き残すことを武郎に約束する。
それを知った佐穂は、意造に武郎の無礼を詫び、自分を慕って新発田まで来てくれた烈を一生かけて守るから遺産などいらない、と意造に断言する。

三人は田之内家に戻るが、せきと二人はまったくなじもうとはしなかった。意造が描いていた新しい家族像は、せきの陰気さや烈の勝ち気さから適わないまま日が過ぎていく。

5.せきの出産

田之内家での生活に慣れることができないせきは、芸妓時代には怖いだけの存在であった養母の昌枝だけが頼りで、彼女の訪問を待ちわびる。
昌枝の声が聞こえると、病床のむらは、あのような女を田之内家に近づけることは家産を傾ける、と危惧する。

それからまもなく、むらは七十八才で世を去る。
佐穂は、自分をかばってくれたむらの死を深く嘆く。
むらの葬儀は田之内家にふさわしく盛大に行われたが、そのころからせきは体調を崩す。理由は妊娠であった。昌枝は田之内家の世継ぎの祖母になることを喜び、意造はもくろみ通りに若い妻に子供ができたことを驚喜する。しかし烈は、日に日にせきに甘くなる意造の姿を見て、孤独感を深めていく。

(photo by pixabay)

昭和三年、十歳を迎えた烈は佐穂にお裁縫を習うようになる。自分の人形のために浴衣を縫おうとする烈は、新しい布を買いに行き男の柄しかないのを嘆くが、その布で浴衣を縫い上げる。

順調に妊娠期間を過ごしていたせきは、五月に入って産気づき、意造の留守に男の子を産み落とす。意造は涙を流して喜び、佐穂はつらい嫉妬に悩まされる。男の子は、長命を祈って「丈一郎」と名づけられた。

元気に育つ丈一郎の母として、せきの態度は次第に誰に対しても横柄になっていく。
烈も、丈一郎誕生当時は気味悪がって近寄らなかったものの、次第にかわいがる様になり、人形のために縫った浴衣を丈一郎に着せようとしてせきに怒鳴られる。せきの意を受けて、意造も目の不自由な烈が丈一郎に触れるのを危惧するようになる。

烈は、田之内家の家督をいずれ継ぐのは丈一郎であると納得し、自分と佐穂のために田之内家の敷地内に分家を立てたいと望むようになる。意造は烈の望みを聞き、佐野家の武郎との約束を思い出し、北山の分家の従兄を証人として遺言書を作成する。意造が生きているうちに、烈と佐穂が住む屋敷を建て、田地田畑は烈、佐穂、丈一郎、せきで四等分すること、「冬麗」の蔵は丈一郎が継ぐことなどを決めた。佐野家も、意造の決定に感謝する。

さっそく、敷地内に新たな家の建築がはじまり、目の不自由な列のための工夫があちこちに施されるが、烈は日に日に視野が狭まっており、視力が残っているあいだに家が完成することを祈る。

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6.意造の発病と丈一郎の死

家庭内が穏やかになり安堵した意造は、魚釣りに行き雪の中で倒れる。父の三左衛門と同じ中風であった。
佐穂はてきぱきと番頭や女子衆(おなごし)たちを指図し、献身的に看病をする。一方せきは、意造の闘病のじゃまになるからと丈一郎を連れて隠居所に移ってしまい、夫の看病に興味をもたない。

佐穂の不眠不休の看病により、意造は意識を取り戻し、左半身に麻痺が残るものの快復に向かう。
しかし、病を患ったあと、意造は自分の看病を一切しようとしなかったせきに対し態度を硬化させる。烈と佐穂のための分家はすでに完成していたが、病で気が弱くなった意造は二人の引っ越しも延期させた。

そのころ、初潮をみた烈は急に大人び、父とせきの気持ちや関係も的確に把握する様になった。
丈一郎は三歳になりますます可愛く、意造を慕うようになり、ようやく意造は烈を分家に手放す決心をする。

ところが家移りの前日、今度は丈一郎が遊んでいた小川の縁で滑って転び、頭を石にぶつけて急逝してしまった。野積に出かけていた意造は、家に戻りその亡骸を見、せきに対して怒りを爆発させる。これ以後、意造はせきに対してほとんど口を利かず、家の中でも写経に明け暮れる日々を送るようになる。

九月に丈一郎を送り、十二月には「冬麗」の新酒ができあがるが、意造は生きていく目的を失い、蔵を閉める決心をする。
意造は意気消沈したまま正月を迎えるが、十四才を迎えた烈は娘らしく美しくなり、父が蔵を閉めることを心から惜しむ。

7.烈の失明

三月十九日の朝、烈は視力のすべてを失う。
強いショックを受けながらも、烈はしばらくは佐穂にも意造にも気づかせないように振る舞う。

しかしやがて家族の知るところとなり、烈の視力の回復を祈って、せきは故郷にある弥彦山にご祈祷に行くことを申し出る。
その道中、せきは昌枝のところにより、田之内家から去りたいと告げる。昌枝は田之内家にやってきて、意造にその旨を伝えるが、意造が肯(がえ)んじない。

失明しショックを受けていた列だが、弱気の父のためにも立ち直る決心をし、それまで佐穂とともに寝ていた部屋から独立し、一人で寝起きするようになる。
さらに、将来の田之内家の家長として、酒造業を再開させたいと父に懇願する。

(photo by photo-ac)

意造は、烈の気迫に感動しつつも、酒造りに女が関わることは禁忌であるといって拒否する。しかし烈は諦めず、手始めに子供の頃諦めてしまった勉学に励むことを宣言する。意造も娘の勢いに推される形で、娘に熱心に勉強を教えるようになった。

十六才の正月を迎えた烈は、どうしても酒造りをしたいと望み、それがだめならば婿を取って子供を産みたいと宣言する。父の弱気につきあい、田之内家が朽ちていくのを見るのは耐えられないと訴える。佐穂は、手塩にかけた烈が父の言いつけに素直に従わないことを苦々しく思いながらも、強い意志を持っていた賀穂を思い出し悩む。

意造は烈にずるずると押される形になり、京都の松尾神社に烈とともに詣でることを承知する。松尾神社は、全国の蔵元の信仰を集めている神社で、神社のご神体のひとつが女神だと知って烈は興奮し、その様子を見た意造はついに烈とともに酒造業を再開させる決心をした。

亀田に戻ると、意造はさっそく烈に酒造についての講義を始めた。野積の杜氏平山晋も、二年ぶりに「冬麗」の製造に戻れることを喜ぶ。
一家を挙げて酒造を再開するについて、佐穂は奥にこもりっきりのせきにも手伝ってもらおうと意造に提案する。意造は渋い顔をするが、せきは同郷の蔵人たちのまかないに参加できることを喜ぶ。

作業が始まると、蔵人たちはこの家の盲目の娘をどのように扱うかとまどうが、涼太という若者だけは、烈の手を取って優しく酒造りについて説明をする。そんな涼太に、烈は思いを寄せるようになる。

蔵人たちが田之内家で作業をしている間は、せきは張り切ってまかないに精を出していたが、作業が終了し蔵人たちが去っていく頃から体の不調でまた奥に引きこもる日を送るようになった。見舞いに来た昌枝に、せきは自分の妊娠を告げる。

しかし、意造が病に倒れて以来、夫婦は寝室をともにしておらず、半身不随の意造に子供をもうける力があるわけもなく、せきが身ごもったのは不義の子と知り佐穂は青くなる。昌枝と佐穂がどれほど訪ねても、せきは相手の名を明かそうとしない。

烈は、涼太への思いを深めていき、佐穂に男物の浴衣を縫いたいと申し出る。佐穂は、せきの妊娠で落ち着かない毎日を過ごし、さらに烈が蔵人の誰かを慕っていると知り鬱々とした気分になりつつも、烈とともに布を選び作業を手伝う。

ある朝、せきが失踪する。
佐穂は、意造にせきの妊娠を告げ、その身を案じるが意造は泰然とした態度をくずさない。

数日後、昌枝がせきを連れて田之内家にやって来、せきを離縁してほしいと訴える。意造は、夫婦に子ができるのは当然だ、と昌枝の訴えを退けた。
しかし、せきの不義を知った烈は、その相手が涼太ではないかと苦悩する。烈は、直接せきに詰問するが、せきは涼太ではないことだけを主張し、相手の名は口にしなかった。

烈は意造に、生まれてくるせきの子と姉妹になるのは我慢がならないと訴える。田之内家の遺産が、田之内の血を引かない子供に受け継がれていくことを危惧する。

意造は腹の子を処置することを提案するが、せきは丈一郎の生まれかわりかもしれないからと泣いて拒否する。そして改めて、野積に戻りたいと意造に伝える。話し合いが行き詰まったころ、佐穂がそっと意見をする。せきは月が満ちるまで田之内家で療養するのがよい、子供が生まれてからその身の振り方を考えるべきだ、と。
烈だけは、せきの相手が明らかにならないことに苛立ち、佐穂の寝室で涙を流す。

十一月になり、ふたたび杜氏や蔵人が田之内に集まり始める。烈はふたたび涼太とともに酒造りができることがうれしくてたまらない。縫い上げた浴衣を涼太に渡したいと切望するが、周りの目が気になって果たせない。

十二月には入り、せきは産気づくが男の子を死産する。そして、旧正月を過ぎた頃、田之内家から去っていった。

三月に入り、蔵人たちが田之内家を去る日が近づくと、烈は佐穂に涼太と結婚したいと訴える。佐穂は意造の怒りを予想し途方に暮れるが、烈の強い希望でもあり意造に烈の気持ちを伝えた。案の定、意造は激怒し、烈に手をあげる。

蔵人たちが去ったあと、烈は一人女中を連れて浴衣を抱え、野積に向かう。意造と佐穂は途方に暮れるが、杜氏の晋を呼び事情を聞くと、涼太は働き者で親孝行、言うことがない若者だという。

佐穂は、せきの相手が涼太ではなかったことを直感で感じ、意造に二人を結婚させようと話す。意造も佐穂も、烈のように美しく聡明な娘が、教養もない涼太と結ばれることを手放しには喜べないが、烈の幸せを願い結婚を許すことにし、晋を野積に使いに出す。意造は北山の分家に相談に行き、従兄に働き者の蔵人を跡継ぎにして蔵元を継がせるのは理想だと説得され、意造は安堵する。

晋を供に家に戻った烈は、自分の行動を意造と佐穂に詫びながらも、幸せに頬を染める。その様子を見て、意造は佐穂にともに隠居所で生活をしてほしいと告げ、佐穂は快諾する。

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8.田之内家のその後

結婚した烈と涼太はいたって仲が良く、昭和十二年に烈は無事に男児を出産した。男児は「輪太郎」と名づけられた。
しかしその直後、涼太は出征することになる。出征前夜、涼太は烈に輪太郎を立派な「冬麗」の蔵元に育ててほしいと伝える。それが遺言となり、涼太は戦死。二十歳で未亡人となった烈は、田之内家の当主として乏しい物資をやりくりしながら酒造りを続けた。

戦後、農地改革法により田之内家は所有していた土地のほとんどを失ってしまう。使用人も減り、不自由な生活の中で、烈は輪太郎を育て酒造りを絶やさなかった。そして、たゆみない努力の末、昭和三十八年には「大吟醸・冬麗」の発売にこぎ着けた。

(photo by photo-ac)

輪太郎は、祖父と同様に東大に学び、蔵元を継ぐべく帰郷する。それと入れ替るように、烈は病に倒れ、四十六才で世を去った。残された意造と佐穂の嘆きは深かった。

烈の死後、輪太郎は佐穂の実家がある新発田から妻を迎え、三人の子供に恵まれる。その結婚式の日、福島でたばこやを営んでいるせきから無記名でお祝いの三春(みはる)駒(ごま)が届く。

輪太郎に第一子が生まれた昭和四十一年、意造は九十才の大往生を遂げた。それを追うように、佐穂も七十九才で世を去る。
輪太郎は、田之内烈、田之内涼太、田之内意造の傍らに立つ佐野佐穂の墓碑を見るたびに、佐穂の田之内家への献身を思い、やはり意造妻、田之内佐穂と刻むべきでなかったかと思いつつ香華を手向けている。

9.終わりに

「蔵」は、宮尾登美子の作品の中でも最も愛された小説のひとつだと思う。

私が感じるのは、豪雪地帯の白、雪国の女性たちの肌の白さ、不自由でありながら黒曜石のような美しい瞳をもつ烈、そして彼女たちを彩る着物の鮮やかさなど、読んでいるだけでまぶたに浮かんでくる見事な色合いが、とくに女性たちに人気のある理由だと思う。

そして、作品全体を貫く新潟の方言は、まるで歌のように心地よく耳に響く。私は新潟の方言は無知であったが、すこしも煩わしさを感じることなく、読了後もその響きを楽しみながら余韻に浸ることにしている。

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