有吉佐和子 恍惚の人のあらすじ│認知症を持つ義理の父の介護を通じた、女の生き方

有吉佐和子の恍惚の人は1972年の作品で、今では当たり前のようにメディアなどを通じて語られる、認知症を持った義理の父の介護をテーマとしている。

主人公の立花昭子は、仕事をしながら夫の父母と同居しているが、舅には家を空けていることでさまざまな意地悪をされながら暮らしてきた。
姑には可愛がられて助けられてきたが、姑が亡くなり、舅の認知症がエスカレートしていくにつれ、心も体も追い詰められ、将来迎えるであろう自分と夫の老い先を思い、舅の最期を見送るために奮闘する。

1972年という、日本が高度経済成長に沸いていた時期に書かれた作品であるが、高齢化社会を迎えた今、あらためて読み返されるべき作品である。

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1.姑の死と茂造の変化

立花昭子は結婚して二十年、夫の信利と高校二年生の息子敏(さとし)、姑、舅の茂造と東京郊外の一戸建てに住んでいる。
早くに父親を失った昭子は、職業婦人を嫌う舅に気兼ねをしながら弁護士事務所で事務員として働いている。

月曜日から土曜日の午前中まで事務所で働く昭子は、土曜日の午後にあらゆる家事をこなし、日曜日は休息日にするという日課を送っていた。夫の信利も多忙な商社マンであるため、昭子は高価な家電も躊躇せずに購入し、日常生活に支障を来さない方針を貫いてきた。

優しい姑は昭子に理解を示していたが、舅は昭子のことをいじめ抜き、見かねた信利が老夫婦のための別棟を敷地内に建て、住まいを別にしている。

ある雪の日、会社からの帰り道、昭子は外套も着ず背広姿で青梅街道を闊歩する茂造を見て抱きかかえるようにして家に帰る。離れに暮らしていたので気づかなかったが、それまでとは違う舅の様子に、昭子は不安を抱く。気むずかしく誰とも衝突しがちな茂造が、茫洋として昭子の問いにさえ満足に答えられない。

信利がその日の夜、家に戻ってくると、茂造が台所で芋を手づかみで食べていた。驚く信利に、離れから駆けつけた昭子は姑が亡くなっていることを伝える。美容院から戻った姑は、玄関の上がりかまちで倒れ、そのままこと切れていたのだった。茂造は自分の妻が倒れていることも理解できなかったのか、昭子の姑は亡くなってから四時間も玄関に放置されていた。駆けつけた医者は、脳内出血であったと家族に伝える。

姑の死で冷静さを失っている昭子に、信利は茂造の様子もおかしいと言う。昭子は、普段の慎みも忘れて茂造に姑が亡くなったことを強い調子で伝えるが、茂造は「婆さんは、いつまで寝ている気ですかなあ」といい、その死が理解できない。信利と昭子は、妻の死で茂造が一時的に錯乱状態になっていると理解する。

 (photo by photolibrary)

葬儀についてはまったく無知の信利と昭子は、その死を聞いて駆けつけた近所の木原家と門谷家の人々の指図を仰いで母であり姑であった人を送る準備をする。

次男であった茂造は不信心である上に、普段から仏壇を敬うこともしなかったので、若夫婦も自分の家の宗旨さえ知らない有様だった。同じ宗旨である門谷家の老婆が、寺の手配をした。昭子の実家からは、女学校の同級生でもある嫂(あによめ)が駆けつけて、甲斐甲斐しく通夜の準備を始める。昭子の母は数年前に亡くなっていたので、嫂はこういう事情に慣れていたのである。

弔問に来る人たちのための食事の準備をしていた昭子は、茂造が鍋一杯の煮物を食べてしまったことに気がつき青くなる。茂造はもともと胃腸が弱く、昭子が料理するものにも文句をつけるのが常であったからだ。

通夜のあと、茂造は昭子が気付かないうちにさらに稲荷寿司も平らげてしまう。茂造の胃薬を探していた昭子は、嫂の光子に指摘されて、信利の妹京子に姑の死を告げていなかったことに気がつく。

東北の小都市に住む京子は、汽車を乗り継いで実家にやってきたが、昭子や信利が葬儀の準備に追われその死を悲しむ余裕もなかったのとは対照的に、母の死に顔を見て取り乱す。

茂造は妻の棺の傍らに端然と座っていたが、娘の京子のことも誰なのか理解できない。茂造は、いじめ抜いた嫁の昭子と孫の敏のことはわかるのに、実子である信利と京子の存在はすっかり忘れてしまっていた。そして、胃腸のことを嘆かない日はなかった茂造が、おなかを下しもせずにひたすら食べ続けている。京子も、その父の変化に驚愕する。

葬儀は、家族と近所の人だけのひっそりとしたものになった。信利は、そのわびしい葬儀中に、八十四歳の父親の耄碌(もうろく)ぶりを目にし、妹と妻が老けたことを実感し、自らの老後を思い慄然とする。

京子は、嫁ぎ先の舅がすでになくなり、姑と夫を留守に置いていても心配がないことから、亡き人の持ち物の片付けのために立花家にしばらく滞在することになった。しかし、退職後は若夫婦の収入に頼って生活していた老夫婦には、財産がなにもなかった。出てくるものは、茂造の薬や茂造が自分で作った入歯ばかりだ。京子は、姑に形見分けとして持って行く着物さえもないと嘆く。

その傍らで、茂造はひたすら空腹ばかりを訴える。心配になった昭子は、茂造を病院に連れて行った。あらゆる検査を終えて自宅に戻った茂造は、家に戻るなり空腹のあまり泣き出してしまう。

一週間後に出た検査結果は、血圧も脈拍も正常の「健康体」というものであった。

初七日まで立花家に残るという京子に茂造を任せて、昭子は職場に復帰する。しかし、職場でも耄碌した老人を家に抱えることがどれだけ大変かという話ばかりを聞かされることになる。昭子は改めて、気難しい夫に仕えながら愚痴ひとつこぼさず、昭子にも気を遣い、美容院に行ったあとに家人を煩わせることなく逝った姑の徳を実感する。

食材を買い込んで昭子は自宅に戻ったが、台所には汚れた茶碗が山積みになり、敏しか家にいない。腹を空かせた敏に夕食を食べさせていると、茂造が一人で家に戻りなにも言わずに食卓につき食事をとりはじめる。

しばらくたってから、京子が着物と息を乱して戻ってきた。
京子によると、茂造はお昼過ぎに「婆さんを迎えに行く」といって家を出たのだという。京子も急いであとを追いかけたが、老人とも思えない速い足の動きに加え、いくら京子がすがりついても茂造は馬鹿力でそれを振り切ってしまう。赤信号も無視して歩き続ける茂造に、京子は体力がついていけず「昭子さんが心配しますよ」と口にすると、茂造はとたんに家に向かったのだという。

京子は、茂造は昭子が好きで、だから耄碌しても昭子のことだけは覚えているのだと発言し、昭子は激怒する。

茂造を寝かすために離れで火をおこしながら、昭子ははじめて自らの老後というものに思いをはせる。

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2.耄碌(もうろく)した茂造と立花家の新たな生活

初七日には、近所の人がお参りに来てくれた。次の日に京子は自宅に戻るので、昭子は
近所の門谷という老婆に茂造の面倒を見てもらうように頼む。

夜は茂造を、離れではなく母屋の一階で一人で寝かせるなど、昭子は新たな生活のために頭を悩ますが、実の親が惚けているのを目の当たりにした信利は、理論的に物事が考えられなくなっている。
信利は口には出さないが、主婦である昭子が仕事を辞めて家事と舅の世話に専念すべきだと考えていることを、昭子は察する。しかし、小さい事務所ながらタイピストとして自分の仕事に自負を持つ昭子は、夫のこの考えが我慢ならない。

昭子は街の敬老会館を訪ねて、少しばかり安心する。毎日弁当を持たせて、門谷家の老婆に茂造をこれから日中は連れて行ってもらい、ここで過ごさせればいいのだ、と。

寝巻を妻に着せてもらっている父を見たあと、信利は久々に妻を抱く。夫婦はその後、お互いを先に失ったら自殺する、と語り合う。それは、二十年も前に若かった二人が熱情に駆られて口にしたのと同じ台詞ではあったが、その晩の二人の会話は老後に一人残される残酷さに耐えられなかった夫婦の会話であった。

 (photo by pixabay)

京子が立花家を去り、昭子はようやく親子水入らずの生活に戻り安堵する。
安眠をむさぼっていた昭子は、夜中に茂造のうなり声で目を覚ます。茂造は尿意を催し、便所を探してわめいていたのだ。
昭子は茂造を便所に連れて行くが、離れのくみ取り式便所になれていた茂造は、母屋の水洗洋式トイレを怖れて用を足せない。仕方なく昭子は、茂造を庭に連れ出してその一隅で放尿させてしまう。

結局その夜から、昭子は舅とともに一階で寝るようになり、舅が尿意を催すと雨戸を開けて庭で用を足させるという習慣ができてしまう。しかし、茂造の耄碌が話題になるととたんに不機嫌になる夫に、昭子は庭での放尿のことは話せないままでいる。

翌年の正月は、立花家は喪中であったので、うちうちで過ごす。
姑の死後、茂造は門谷家の老婆に連れられて敬老会館で昼間は過ごしていたが、勤務中の昭子は気持ちが落ち着かなかった。

年末年始の五日間の休暇は、茂造のことを思うと昭子にはありがたい。
正月、また門谷家の老婆が来て、茂造を敬老会館の新年会に連れ出す。夕方、信利は茂造を迎えに行くが、茂造は息子のことがわからず、帰るのをいやがる。信利は、門谷家の老婆に茂造を任せて一人で帰宅するが、老婆が茂造に懸想(けそう)しているのではと推測する。

そして敬老会館の老人たちが、老いても余生を楽しんでいる様子を見て、若い日から狷介(けんかい)であった父親は誰とも交わらず、幼児のように面倒を見てくれる嫁だけを頼りにしていることを目の当たりにしてショックを隠せない。

正月が終わり日常生活が戻ると、立花家の生活も落ち着いてきた。

昭子は朝起きると、離れに茂造をうつし、暖を入れておく。門谷家の老婆が来て茂造を敬老会館に連れていってくれるので、敏が学校の帰りに敬老会館から茂造を連れて帰ってくる。
茂造と敏は、家に戻るとおやつにラーメンをすする。昭子は、夜は一階に寝るが、茂造の夜中の小用を手伝うと、二階の夫婦の寝室に戻る。信利は、相変わらず多忙な商社マンの生活で、帰宅は遅い。

しかし、徐々に老人二人は敬老会館に通わなくなり、門谷家の老婆は茂造と夫婦気取りで立花家の離れで過ごすことが多くなった。茂造は明らかに老婆を迷惑がっているのだが、老婆は茂造を慕い離れで二人で過ごすのが楽しいらしい。敏は「老いらくの恋」だと面白がる。

昭子は門谷家に菓子を持って礼に行くが、門谷家の主婦は姑が立花家の離れに籠っていることは知らなかったといい、姑の言動にはあまり興味がない。

茂造が惚けてこのかた、自分の行く末を慄然と考えるようになっていた昭子は、門谷家の主婦の冷徹さを見て逆に二人の老人に優しくなる。昭子が用意する食事やおやつを、門谷家の老婆は大仰に喜ぶ。

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3.徘徊、奇声そして幼児帰りする舅との生活

ところがある日、敏が茂造を迎えに行くと、門谷家の老婆はおらず茂造だけが取り残されている。昭子が門谷家に事情を聞きに行くと、老婆は茂造が敬老会館で笑いものになっておりその面倒を見ている自分まで嘲笑された、と憤慨していた。老婆に愛想をつかされた茂造を、明日からどうすべきか昭子はまた悩む。

ある晩、信利は会社のつきあいで同僚たちと飲みに行くが、その席で会社のトップに立つと予想していた人物が六十歳で耄碌したことが話題になる。帰りのタクシーでも、同僚の母が寝たきりになり、妻の負担が大きくなり、夫婦仲も険悪だという話になり、信利は落ち込む。

真夜中に家に戻ると、妻が庭で父の用足しの手伝いをしている。信利は父の顔も妻の顔も見る勇気がない。それでもかろうじて、妻に「すまんな、いつも」と声をかける。仕事と家事と舅の世話で苛立っていた昭子も、夫のその一言で救われる。
しかし、その夜から茂造は「暴漢がいる」と夜中に何度も目を覚ますようになり、昭子は寝不足に悩まされる。

門谷家の老婆を頼れなくなった昭子は、老人ホームというところに茂造を入れようかと考え、情報収集のために敬老会館に出かける。事務所の若い女性は、茂造と門谷の老婆の仲違いを知っており、茂造のために別の敬老会館を紹介してくれる。

昭子はその敬老会館を訪れ、老人たちがそれぞれの趣味を楽しんでいる様子を見、壁に書かれた「敬老会館は心身ともに健康な老人のためのものです」という文字を見て、家族を愛さず自分の体調の不満ばかりを口にし、耄碌してしまった舅を思い嘆息する。

どこの敬老会館の事務員も、老人を老人ホームに入れるのには反対という意見で、昭子はホームの情報はなにも得られないまま帰宅した。

帰宅すると、また敏と茂造がいない。
おりよく、敏から電話がかかる。例によって茂造が家を飛び出したのだ。いつも茂造が徘徊する青梅街道まで出て、昭子はようやくタクシーを拾い茂造と敏を見つける。茂造はなんと、自宅のある梅里から関町まで8キロ近くを歩いていたのだ。

その夜は疲労で寝てくれるかと思った茂造はしかし、暴漢が来たといって夜中に四回も大騒ぎをする。昭子はついに耐えきれず、夫を相手に不満をぶちまける。家族で茂造のことで頭を悩ませているあいだにも、茂造は動物のような奇声を上げてみなを驚かせる。

信利は翌日、会社の診療所で事情を話し、鎮静剤を処方してもらった。診療所の医師は、茂造の症状を「老人性痴呆」と診断する。そして虫歯も老人性痴呆も、長生きができるようになった現代の「文明病」だと語る。

信利は、実際に父親の面倒を見ているわけではないから、観念的にいずれくるであろう老年がどうなるのか、ひたすら怖れる。枯れて死ぬのはいい。しかし、醜い姿になって生き続けることだけは避けたい。

昭子のほうは、実際に茂造の面倒を見ているのだから、疲労と不眠で観念的な思考に悩む余裕もなかった。ただ、鎮静剤を飲ませた夜は茂造も朝まで寝たので、昭子も久々に熟睡したのだった。

ところが、その夜茂造は失禁していた。昭子はショックで誰にもそれを言うことができず、仕事のあとにデパートで密かに大人用のおむつを購入する。

鎮静剤のおかげで、昭子は寝不足からは開放されたが、二ヶ月も経つとその薬の効きも悪くなってきた。
夜中に空腹を訴えて昭子を起こすので、寝床でパンなどを食べさせる。
寝ている昭子の上に馬乗りになったり、仏壇にある妻の骨壺から中身を出したり、茂造の症状は重くなるばかりだ。

ある日、夫婦が喧嘩をしている隙に、また茂造が家を飛び出す。敏が自転車で近所を探し回るが見つからない。敏は練馬区まで走るが見つからず、昭子は警察に通報する。茂造は、新宿付近で保護されて、パトカーで送られて帰ってきた。

仕事を休んだ昭子は、弁護士である上司から地域の老人福祉事務所の存在を教えられる。
昭子が電話をすると、事務所からすぐに女性が来て状況を説明してくれるが、茂造の症状くらいでは特別養護老人ホームには入れず、有料老人ホームのみだという。しかし、有料老人ホームは、身の回りのことが自分でできる老人のみと言う条件が立ちはだかる。さらに、茂造のように徘徊癖がある老人は、どこも受け付けてくれない。

福祉事務所の女性は、老人性痴呆は精神病のくくりになるので、どうしても家庭から離したいのならば、精神病院に入れるしかないと言う。福祉事務所の女性は来てくれたけれど、なにひとつ建設的な未来を提示しないまま立花家を去っていく。

夫婦は、精神を病んだと言われた父であり舅である人を抱えて、息子である敏の言葉を反芻し続ける。「パパもママも、こんなになるまで長生きしないでね」という言葉を。

梅雨に入る頃には、昭子自身も心身ともに消耗していた。
安定剤は、量を増やすと心臓の負担になるので、効き目が薄くなっても量を増やせない。ある日、敬老会館に茂造を迎えに行った帰り、茂造は雨の中で美しく咲いた泰山木を見つめる。その茂造を見て、昭子は彼がまだ確かに生きているのだと実感した。

しかし、茂造を入浴させている途中に電話に出た昭子は、電話を終えて風呂場に行き、おぼれかけている茂造を発見する。昭子は医師に往診を頼み、茂造は一命を取り留める。

その夜、茂造は急性肺炎にかかる。医師は、この熱が続けば寿命は三日と夫婦に告げる。昭子は覚悟を決めて茂造を看病する。京子も東北から再びやってくるが、父親が瀕死の状態なのに、愛惜の思いはひとつもない。

茂造の最後を思いながら、昭子は何一つ刺激のない人生を送り呆けてしまった舅のようにならないよう、自分はよく働き考えて心身の鍛練をしようと決心する。

三日しか保たないといわれた茂造は、その後、熱が下がり回復する。
京子は、姑から香典まで預かってきたのに、と父親が回復したことを喜ばない。
しかし、回復後の茂造は、まるで子供になってしまった。その幼児のような笑い声を聞いて、昭子はこの人の最期を見届けられるのは自分だけだ、生きることができるのならば長生きさせようと決心する。

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4.茂造の最後の日々

急性肺炎から回復した茂造は、動作が緩慢になりめっきりと痩せ、言葉数がさらに少なくなった。そして、それまで家族が誰も見たことがないような微笑を見せるようになる。
毎日を、恍惚として過ごすようになった。

その代わり、排泄は時も場所も選ばなくなり、おむつは常時必要になってしまった。
昭子の名前さえ呼ばなくなり、テレビも見なくなり、茂造の八十五歳の誕生日に昭子が買ってきたホオジロの籠を、飽かずに眺めている。

 (photo by pixabay)

そんなある日、隣家の木原家の主婦がやってきて、彼女の遠縁の若者が学生結婚をしたので立花家の離れを貸してくれないか、と請うてきた。昭子は、自分が勤めに行くあいだ茂造の様子を見てくれることを条件に家賃一万円で受け入れる。

若夫婦は「山岸くん」「エミ」と呼び合う仲で、学生運動で知り合って結婚したのだという。最低限の荷物だけ持って、立花家の離れに引っ越してきた。
エミが茂造を見て「お爺ちゃん、こんにちは」と無邪気に挨拶をすると、茂造は例によって子供のような光る微笑を見せる。

夫の山岸は、茂造のことを「一万円のお爺さん」というのだが、エミと茂造の仲は昭子がびっくりするほどうまくいくようになる。
若夫婦は勉強好きでてらったところがなく、二週間も経つとエミは茂造のおむつまで変えてくれるようになった。不平も言わず小鳥を眺めて暮らす茂造を見て、山岸は「仙人のような幸福な姿」と言う。若い二人には、老耄(ろうもう)の姿を見ても自分の将来をそこに見ることはまだできない。それまでの人生に触れることのなかった人物を見て、観察し、定義付けをしているだけなのだ。

茂造は「モシモシ」と言う言葉しか発しなくなるのだが、若夫婦は互いに「モシモシ」と呼び合って笑い転げる具合だ。やがて茂造は、若夫婦から「モシモシさん」と呼ばれるようになる。

昭子は、勤務日を週三日に減らし、茂造の目を楽しませるために庭に花を植えるようになった。茂造はその花をもぎ取って、勉強中のエミのところに持って行ったりする。敏は、なにを思ったのかオルゴールのついたガラガラを買ってきて茂造に与える。茂造はガラガラで遊び、また光るような笑顔を見せる。

茂造に穏やかで華やかな晩年が訪れたことを、昭子と信利は喜ぶが、茂造の体力は確実に弱っていった。徘徊もしなくなり、茂造の世話は昭子にとって以前とは比べものにならないほど負担がなくなった。エミはそんな茂造を見て、「お爺ちゃんは夢見る人」と夫に語る。

その平和が、ある日破られる。

茂造と同じ部屋に寝ていた昭子は、臭気で目を覚ました。
茂造が、畳に自らの大便を両手でなすりつけているのだ。

とっさに昭子は茂造を浴室に連れて行くが、家中に臭気があふれる。昭子は信利を起こして、畳をあげて庭に出した。昭子はさらに、庭に出した畳をたわしでごしごしと洗った。がむしゃらに働くことで、現実から目を背けようとしていたのだ。

信利も昭子も、茂造が耄碌しはじめてからあちこちから情報を集め、老人性痴呆の最悪のケースが自分の排泄物を食べたりいじったりするという知識は持っていた。しかし、実際に自分の家庭でその最悪のケースが起こることは、想定していなかったのである。役所でも医学でも、それを人格欠損と呼んでいた。昭子は悪いことをしたわけでもないのにそれを恥じ、同じように老人の問題を抱えた近所の人にも打ち明けることができなかった。

昭子は、茂造の手を引いて医者を訪れる。
医者は、辛抱強く昭子の話を聞き、茂造を診察し、心臓が弱っていることを告げる。茂造の症状を、「人格欠損」とも「老人性痴呆」とも呼ばず、「(子供に)戻られましたね」と告げる。
医者は、整腸剤を処方してくれた。

昭子は、自分のしたこともわからず無邪気な笑顔だけを見せる茂造は人生の道を戻っているのだと自分に言い聞かせ、整腸剤と安定剤を飲ませて寝かせる。

ある日、昭子がケーキを焼いているあいだに、茂造はまた離れのエミのもとに行ってしまう。焼いたケーキを持って離れに行くと、山岸は「エミとは別れた」といい、茂造も来ていないことを告げる。

昭子と信利と敏は、茂造を探して奔走する。動きが緩慢になった茂造がそれほど遠くに行くはずはないのに、三人は茂造を探し出せない。またしても警察に通報することになった。

茂造は、練馬の春日町で警察に保護される。信利はタクシーで茂造を迎えに行く。
茂造はもう信利に逆らうこともできず、ぐったりとして帰宅するが、昭子の顔を見てにっこり笑った。

翌日から、茂造は床を離れられなくなった。
往診した医者も、衰弱が激しいので明日から病院にうつしましょう、と言う。その日の夕食を、茂造は眠っていてとろうとはしなかった。夕食後、敏が茂造の様子がおかしいことに気がつく。喉がごろごろ鳴っている。
知らせを聞いて駆けつけた医者は、茂造の瞳孔を見、「ご臨終です」と告げた。

昨年の冬に、姑を送った経験を持つ昭子は、冷静に茂造の死後も行動する。
茂造の体を清め、寺や近所に連絡し、通夜のための食事も手配する。

通夜には誰も泣かなかった。
通夜が終わり、信利も敏も二階に上がると、昭子はそのときになってはじめて涙を流す。ホオジロの鳥かごを抱きしめて、昭子は泣き続けた。

5.最後に

現在は「認知症」という老人特有の暗いテーマを、有吉佐和子が小説にしたのは1972年だった。
日本は高度経済成長に浮かれ、ベビーブームに沸いていた。

私は、この時代に生まれている。
私の祖父は医師という仕事を辞めてまもなく、耄碌がはじまった。徘徊して、かつての患者さんに連れられて家に帰ってきたこともあった。
母の負担は増え、父はひたすら祖父と同じ老後を迎えることを怖れていた。

この小説は、茂造の死で終わっているが、現実は一人の老人が死んだあとも家族を苦しめたり悩ませたりする。
祖父の死の前後の、両親の確執や親族間の醜い争いも、幼かった私は鮮明に覚えている。
あのときは若かった父も一昨年、天に還ってしまった。

老耄を怖れていた父は、体力が続く限り医師として仕事をし、疲れを愚痴にすることは生涯に一度もなかった。死の数ヶ月前から、病状の悪化による意識の混濁はあったけれど、家族のために働き、家族を養い続けることを生涯の喜びとしていた父を思いながら、私はこのあらすじを書いている。
老衰から逃れることはできない。しかし、その日が訪れるまでの日々を、心正しく父のように生きていこうと思っている。

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