宮本輝 花の降る午後のあらすじ│人生からおりた人間に花は咲かない

公開日: : 最終更新日:2018/04/08 恋愛(Love), 文学(Literature), 本(Book)

しがらみを捨てることは人生をおりることであり、人生からおりた人間に花は咲かない。

花の降る午後は、フランス料理店の女主人となった典子が、困難に立ち向かいながら幸せになってゆく話です。

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1.アヴィニョンをめぐる人々と「白い家」

甲斐典子は三十七歳、四年前に夫の義直に先立たれてから、夫の跡を継いで神戸では名高いフランス料理店アヴィニョンの女主人となった。

職人気質の高名なシェフ加賀勝郎と経理に詳しく客さばきも巧みな葉山直樹という両腕に支えられて、アヴィニョンは以前にもまして繁盛をしている。

アヴィニョンは、典子の夫義直の父が作った店であった。その舅が六年前に去り、夫の義直はわずか二年後に三十五歳の若さで癌で父のあとを追ってしまった。

(photo by pixabay)

姑のリツは夫と息子に先立たれたショックから寝込んでしまい、その看病におわれていた典子に、加賀と葉山は店の存続を懇願する。客商売もフランス料理についても素人同然であった典子は断るが、リツは控えめな言葉ながら夫と息子が残したレストランへの未練を口にし、それが典子に夫のあとを継ぐ決心をさせたのだ。

仕事をはじめた当初は、典子はリツの家に同居をしてレストランまで通勤をしていた。しかし、毎日の帰宅が夜中の二時を過ぎることが多いのにもかかわらず、典子の帰宅を寝ずに待つリツの健康を考慮し、典子はいつの間にかレストランの二階に寝室と浴室をもうけて寝泊まりするようになった。

さらに、リツの遠縁の娘の加世子が甲斐家に下宿をするようになると、加世子が典子に敵対心をあらわにするようになり、これも典子には煩わしかったから、レストランの二階での寝起きは典子には渡りに船であった。

夫の義直は、生前の最後の日々を療養をかねて伊勢志摩で過ごした。
英虞(あご)湾沿いの喫茶店の壁に掛けられて販売されていた5万円の『白い家』という六号の作品に典子は一目惚れし、歩くことさえ困難になっていた夫の義直にせがんで買ってもらった。

レストランの二階の自室で夫を思い出すとき、典子が最もよりどころにするのがこの『白い家』なのだ。普段は店に飾られているこの写真に、典子は夫への追慕を重ねている。

ある日、午後の休息をとっていた典子のもとに二十代後半の青年が突然訪れてくる。
高見雅道と名乗ったその青年が、『白い家』の作者であった。

高見は画家を目指す青年であったが、三年前にその道を諦めて会社勤めをしていた。ある画廊が、高見の個展を開いてもいいと言いだし、高見は過去の自分の作品を探して典子のもとにたどり着いたのだった。

高見の作品を喫茶店に飾っていた店主は、高見の要望に応じて絵を購入した客の名前や住所を書き留めていて、それを頼りに高見は神戸までやってきたのである。典子は夫の思い出深い絵画をわずかの間でも手放すことに躊躇するが、高見の事情を聞いて十日間だけという条件で貸し出す。

絵を手放して虚無感に襲われた典子は、アヴィニョンの隣に住む78歳のイギリス人リード・ブラウンを訪ねる。

彼は、かつてはこの地で毛皮商を営んでいた。リードは、典子の夫の義直を幼少時代から知っている隣人で、典子を温かく支えてくれる隣人である。息子夫婦に店を譲ったリードは、元町に店を移した息子たち夫婦と気が合わず、自分が興した店で寝起きをしている。

自分の死を覚悟した義直が、若くして未亡人となる典子の後見を頼んだのがリード・ブラウンであった。リードはだから、典子がアヴィニョンを引き継ぐについても経営者としての心得を典子に根気よく教えてきた。

数多いアヴィニョンの常連客の一人に、大きな貴金属店の妻である松木かづ子がいる。
彼女の夫、松木精兵衛はすでに六十歳を超えていたが、妻のかづ子は四十歳になったばかりで、友人たちを集めてJEB ( ジャズ・食べる・本の英語の略字 ) なる会を作って、会員たちとアヴィニョンを訪れるのだ。

典子は、「ジャズ」のJを「ダンス」にしてDにすれば「デブの会」になってしまうと失言して、一時期かづ子たちはアヴィニョンから遠ざかっていたのだが、表裏のない典子の性格を嘉(よみ)し、加賀の料理を楽しみに彼女たちはアヴィニョンの常連に戻っていた。

その松木かづ子とアヴィニョンのウェイター水野が男女の関係にある、という噂が典子の耳に入った。三十七歳の水野には、早くに結婚した妻と十五歳を頭に三人の子がある。加賀は、水野の勤めぶりには不満がないものの、勤めずれしている彼の態度を危惧し、これを機会に辞めさせるべきではと典子に助言する。典子は、休日に偶然出会った水野一家の仲むつまじい様子を思い出し、即断を避ける。

『白い家』が外されたアヴィニョンの壁に、葉山がどこかで調達してきた静物画を飾ろうとする。その陳腐さを加賀が嫌悪していることを瞬時に察した典子は、絵が突然消えたという謎を客たちに話題として提供できると主張する。

典子は、料理人としてあらゆる教養をつんでいる加賀の審美眼を信じていた。その加賀の目にも、『白い家』は「いい絵」として映っていたことを典子は改めて思い出す。

松本かづ子が客として訪れた夜、典子は彼女と水野の態度に神経をとがらす。そこへ、高見雅道から電話がかかってくる。『白い家』の裏に、義直が亡くなる五日前にしたためた手紙が貼ってあったという。

動揺した典子は、画廊の住所も聞かないまま東京に向かう手配をする。従業員たちはいつもと違う典子の態度に不審を抱くが、葉山と義母が連絡を取り合っていることを知っている典子は手紙のことは加賀にだけ告げて、東京に向かう。

東京駅では、高見が待っていた。典子が画廊の名前も場所も知らないことを知っていた高見は、東京駅まで迎えに出、義直の手紙を典子に渡して画廊に戻っていった。

ホテルにチェックインした典子は、すぐに手紙を読む。その手紙には、義直が若い典子を残していくことを詫び、さらに大学時代に関係を持った岸辺令子という女性が生んだ女の子が自分の子のような気がする、と書かれていた。この手紙が典子の目に触れるか触れないかは運命に任せる、と。

手紙を読んだ典子は、義直がその最後の日々にひたすら典子の体に触れたがったことを思い出して涙を流す。

翌日、典子は加賀にだけ電話をかけて手紙の内容を伝える。典子と加賀は、姑リツの動揺を考え、真相は調査しないことに決める。

大阪に戻ろうとホテルの部屋を出た典子を、高見が待っていた。典子に『白い家』を返すという。自分の作品を購入し大事な手紙を絵の裏に貼ってくれた義直への感謝の思いに浸っていた高見に、画廊主はこの絵を買い戻すことを強く主張し、高見は画廊主と喧嘩別れしてきたのだった。

高見の個展は中止になったことを知った典子は、高見の幼稚さをたしなめて無理矢理高見と画廊主を仲直りさせる。高見の絵に惹かれる典子は、改めて個展のあとに自分のために絵を描いて欲しいと依頼する。それに興奮した高見は学生時代にみたマドリッドのプラド美術館にあるヒエロニームス・ボッシュのことを熱く典子に語る。

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2.アヴィニョンをねらう人々

盛夏に入ったころ、典子は水野と松木かづ子が週に一度ホテルに行く仲になったことを知る。かづ子は夫の精兵衛ともどもアヴィニョンの上客であり、加賀は水野を辞めさせるべきだと改めて主張するが、典子は双方ともに傷つかないように解決するためしばらくは静観することにする。

夏に入って、リード・ブラウンの体調が悪くなった。リードの息子は、父親が寝起きしている北野坂の家屋を売却することに乗り気になる。リードが近所から居なくなることを考えただけで、典子は不安になる。

憂鬱な夏を過ごす典子のもとに、松木精兵衛の右腕の後藤栄吉が訪ねてくる。
後藤の話は、秋津修一というアヴィニョンのウェイターが、水野と松木夫人の関係をネタに社長を揺すっているというものだった。松木側が調べたところでは、水野と秋津はぐるだという。秋津は、経理の葉山の親戚の青年であった。

典子は、水野も松木夫人も大人であるから自分は関係ないと言い、秋津のことも恐喝罪で訴えてくれ、と後藤に伝える。

典子はいつも通り、加賀にだけこのことを伝える。加賀は事件にきな臭さを感じ、なにか裏があるのではと疑う。典子は秋津を直接問い詰め、秋津はアヴィニョンから去る。

水野は、松木精兵衛がかづ子と離婚したがっており、慰謝料を払いたくないために水野と夫人の逢瀬日時を教えて欲しいと秋津から頼まれただけだと弁明した。その秋津は、後藤から頼まれただけだと。その態度から、典子は水野の弁に信をおこうとするが、水野をこのままアヴィニョンにはおけないと決心し辞めさせることにする。

親戚の青年を自らに断りなく辞めさせられた葉山は激高し、葉山までその日に退職をしてしまう。

あまりに慌ただしく起こったこれらのことに、典子は疑惑を感じる。加賀はいきなりいなくなった三人の穴を、見習いのシェフを使いまわして乗り切る。

この様子を見ていたアヴィニョン専属の運転手の小柴は、坂道の送り迎えをするさいに葉山が車のなかで松木精兵衛の娘の話をしていたと典子と加賀に告げる。松木には息子が三人いたが、若い頃に従業員の妻に手をつけその娘を生ませたのだという。

加賀と小柴を帰した典子は、高見と電話で話をし、彼に惹かれていることを自覚する。そして、アヴィニョンを誰にも触れさせない決心をした。

退院してきたリード・ブラウンに、典子は義直の手紙のことを話す。リードは、真相を知っても今更誰も幸せにならないことを暗黙のうちに典子に伝え、彼女をなだめる。

リードはさらに、自分が住んでいる土地について息子のマイクともめ事が絶えないことを典子に愚痴った。マイクの妻ジルは、秘密クラブで荒木美沙という女と親しくなりルーレットに夢中だという。心配したリードは、これまた近所に住む黄健明という中国人の経営者に相談していた。彼の情報によれば、荒木美沙は松木精兵衛の娘だという。

(photo by pixabay)

これを聞いた典子は仰天し、直接黄健明のところに出向く。彼の娘、黄芳梅は義直と同じ年で、典子はこの健明のこともリード同様父親のように慕って頼りにしていた。黄健明によれば、松木精兵衛の娘として現われた荒木美沙とその夫荒木幸雄は天才的な詐欺師で、やくざ相手ならば屈しないであろう松木も手を焼いているという。

荒木は、妻の実父が神戸でも有数の宝石店の所有者と知り、あらゆるものを搾取しようと企んでいるのだという。そして、娘の美沙が父の松木に要求したのが、レストラン・アヴィニョンであったというのだ。

荒木幸雄は、アヴィニョンが経営不振になり典子が手離すようにし向けるため、まず葉山を手なずけ、妻の美沙はリード・ブラウンの息子夫婦を手なずけた。荒木夫婦は、アヴィニョンの拡張のために、リード・ブラウンの土地もほしがっているからだ。

荒木夫婦のそのような動きができたのも、幸雄が舅である松木精兵衛から金銭をむしり取り続けているからだと黄健明は語った。そして黄健明は典子に、この先もアヴィニョンを続けていくつもりかと尋ねる。

続けるつもりなら典子自身が闘わなくてはいけない。しかし義直の死後、その仇討ちのように典子はよく働き甲斐家の嫁としての務めは充分に果たしてきた。

アヴィニョンから手を引くつもりなら、黄健明の長男の康順の妻になって欲しい、彼は典子にほれ続けてきたから、と健明は典子に伝える。

アヴィニョンと自らの将来を改めて考えなくてはいけない典子は、まずアヴィニョンの柱である加賀に、いつまでアヴィニョンにいてくれるかと尋ねる。
一流のシェフとして独立を目指している加賀は、45歳になるまでのあと3年間はアヴィニョンに残るという。

そして、荒木幸雄から直接アヴィニョンに予約の電話が入る。

それを宣戦布告と感じた典子は、受けて立つ決心をする。まず、加賀が最も将来を期待している江見をフランスに留学させる。そして、水野をウェイターとしてアヴィニョンに戻すことを決める。

典子は、加賀と同様に信頼している小柴が極道者の兄に悩まされたあげく彼を刺し、8年も服役していたことを知る。しかし、もともと小柴の人柄に惹かれて彼を運転手として採用した典子は、それを聞いても動じず改めて彼が自分のそばにいてくれることを願う。

荒木幸雄と美沙は、夏休み明けのアヴィニョンに入店する。蛇のような二人だが、当たり障りのない会話を交わし店を褒め、帰って行く。

加賀が用意した夜食を口にしながら、典子は高見と電話でおしゃべりをする。

彼の制作活動を助けるために、いくらかの金を注文した作品の前払いとして渡すことを伝えると、高見はなぜ自分の作品をそれほど買ってくれるのかと不思議がる。典子は、がむしゃらに働きながら贅沢などなにひとつしてこなかった自分もたまには無茶がしたいのだと伝える。

翌日、大阪で行われる妹の結婚式のために関西にやってきた高見と出会った典子は、その金を高見に渡すが、典子に恋をしていることを自覚した高見は金を典子に返そうとする。典子は無理にその金を高見に押しつけ、高見は結婚式が終わったあと典子の部屋を訪れることを約束する。

その高揚感から、典子は松木精兵衛を直接訪れる。

典子は、精兵衛と荒木美沙との関係を聞き出そうとするが、精兵衛は年の功でとぼける。ただ、精兵衛の長男の十九歳になる娘が、荒木幸雄にもてあそばれ、その後は女房気取りで荒木のそばに居ることを典子に伝える。

その松木に、典子は彼の腹心の後藤の動きがきな臭いと語る。松木は、明言はしなかったものの典子と手を組みたい意をそれとなく伝える。

荒木たちのえげつない行動を聞いた典子は、闘争心をかき立てられそのまま黄健明のもとに向かった。彼の息子康順との結婚を婉曲に断り、アヴィニョンの経営者として生きていく決心を健明に伝えた。

健明は、荒木たちと闘うためには彼らを陥れる必要があると言い、香港の知人に電話をする。荒木夫婦は、すでにアジアの麻薬売買の組織にも名前が知れ渡っていることがわかる。健明は典子に、林玉徳という名前を書いたメモを渡し、この男の動きを傍観するようにと伝えた。

彼が荒木夫婦と松木精兵衛に接触し、事を運ぶ、松木が林玉徳の登場を典子に伝えれば、松木は潔白であろうと。そして、天はすべてを見て悪を滅ぼすと典子に語る。

荒木夫婦がふたたびアヴィニョンに姿を見せた晩、高見が典子の部屋を訪れ二人は愛を交わし、それから、毎週土曜日になると高見が典子のもとへやって来るようになった。

ある日、松木精兵衛から手紙が届き、後藤があやしいこと、林玉徳という男が接触して来たことを伝える。

そして、加賀が車にはねられて骨折をする。ひき逃げであった。加賀のアシスタントの阿井吾郎は、加賀なしで予約の客をさばくことを決心する。

その日、小柴も出勤しなかった。閉店後にやって来た小柴は、殴られて歯を折られていた。荒木たちの行動とは思えない軽率さではあったが、荒木の一派かあるいは後藤の勇み足であると小柴は推測していた。

慌ただしい一日の終わりに、典子は高見を部屋に迎える。高見との愛におぼれ、彼と暮らしたいと望みながら、典子はアヴィニョンを捨てられない自分も感じる。

翌日、加賀の見舞いに訪れた典子は、夜中に典子に電話をした加賀に応えたのが加世子であったことを知る。加世子がなぜ、夜中にアヴィニョンにやってきたのかに拘泥する加賀だが、典子は自分と高見の関係が加世子の口から姑のリツに伝わることをおそれる。

そのままリツの家を訪れた典子は、お手伝いのキヨから加世子が最近無断外泊をしていることを知る。リツも、加世子の父親、赤垣良久が夫の従姉妹の娘の連れ合いという遠い縁戚関係を利用して甲斐家にやってくることを厭うようになっていた。

典子がリツを訪れているあいだに帰宅した加世子を、リツは叱責するが加世子はうやむやな返事しかしない。典子は加世子の自室を訪れ、彼女の話を直接聞く。加世子の外泊先は、実母のアパートで、父は小料理屋をやっている女のところに入りびたりだという。

大学進学を諦めていた加世子に、父親は甲斐家に下宿して典子を追い出すことを条件に女子大に入学させてくれたが、父はだれかと組んでアヴィニョンを乗っ取ろうとしているのだという。その父親から逃れたくて、典子のことは大嫌いであっても就職先を世話してもらうために加世子はアヴィニョンの閉店後に典子を訪れたのだと説明した。

典子は興信所を頼み、加世子の父赤垣良久と荒木幸雄がホテルで会ったことを知る。赤垣と荒木は口論をしていたという。
興信所によって、赤垣が同棲しているという小料理屋の女の素性も明らかになった。梅沢宏子四十二歳。興信所所員の工藤は、この件に個人的に興味を持ってさらに宏子の周辺を調べてあった。

梅沢宏子は、薬品会社の営業をしていた山岡健次という男と過去に同棲していたが、山岡は急逝していた。その山岡と仲の良かった若い板前が、宏子の店でおでん以外の料理を出すようになり店は繁盛するようになった。

ところが、山岡が亡くなったあと、宏子は赤垣良久と昵懇になる。赤垣は商売にまで口を出すようになり、若い板前は宏子に見切りをつけて店をやめた。今は大阪の曾根崎で評判の小料理屋を開いている。

その板前によると、山岡は以前板前に「自分は昔神戸の宝石店に勤めていた」と話したことがあったという。そして、山岡の当時の妻に宝石店の社長が食指を動かし、妻のほうもそれに応えて妊娠した。

そこに登場したのが、松木の右腕であった後藤である。後藤は山岡の妻に、子供は生んでも生まなくても先々金儲けの種になると知恵をつけた。妻は女の子を生み、山岡は宝石店を退職して東京の貿易会社に就職する。

後藤は、東京にまで訪ねてきて手切れ金を渡す。後藤は松木を裏切り、妻は山岡を裏切り、自分は自分自身を裏切ったのだ、と山岡は板前に語ったという。

そして、娘が十歳になるころには山岡は娘に、お前は俺の娘ではない、尻軽女と助平な男の子供だと吹き込み続ける。娘はやがてぐれて高校を卒業する前に行方をくらました。妻は子宮癌で死んだ。

(photo by pixabay)

山岡は不明になった娘を捜そうともしなかったが、薬品会社に就職して生活が落ち着くと、娘の顔と自分の顔の相似ばかりを思い出すようになった。もしかしたら、娘は自分の本当の子供かもしれないと思いだし、必死で娘を捜した。

娘の噂は、怖ろしいものばかりだった。香港と日本を行き来して麻薬を売っているとか、売春組織と手を組んでアジアの女を日本で売りさばいているとか。そして、ようやく出会った娘は山岡にこういった。七たび生まれ変わっても、あんたを地獄に送ってやる、と。

その話を、山岡はつきあい始めていた梅沢宏子によくしていたらしい。梅沢宏子は、山岡の死後につきあうようになった赤垣にその話をしたのだろう。そして、赤垣が荒木美沙に彼女の本当の父親は誰か教えたのだ。
が、工藤が典子に示した山岡の写真は、荒木美沙と瓜二つであった。

工藤が優秀な興信所の所員と知った典子は、夫が残した手紙に書かれていた娘のことを依頼する。

退院してきた加賀に工藤の報告書を読ませた典子のもとに、憔悴したリード・ブラウンが訪ねてくる。リードの息子マイクの妻ジルは、荒木夫婦のマンションで倒錯的な性に溺れ、マイクにその姿を見られても平然としていたという。そして、リードの説明から、そのマンションの狂態に林玉徳が加わっていることを典子は察する。

アヴィニョンをめぐるこれらの猥雑な状況に耳をふさぎたくなった典子は、しばらく仕事から離れることにする。東京に向かった典子は、ホテルに高見を呼び出す。典子に注文された絵画の制作に没頭している高見は、すぐにはホテルにやってこない。

アヴィニョンに電話を入れた典子は、従業員たちが一丸となって店を守っていることに安心する。そして、リツから典子あてに電話があったことが伝えられる。リツに電話をすると、加世子が家に戻ってこないという。典子は加世子の父である赤垣に電話をし、その旨を伝える。

赤垣は典子の周辺に探りを入れようとするが、典子は適当にあしらいひたすら高見を待つ。四日間、不眠不休で絵を制作していたという高見はやつれた姿でホテルに現われる。二人はお互いに陶酔し、典子は子供が欲しいと突然感じる。

二人は伊豆へ旅に出る。高見は、画家として自立することの難しさとそれまでの援助を典子から得ることにこだわりを捨てきれない。典子は自らの将来とアヴィニョンの今後について試行錯誤するが、答えはなにもでない。

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3.高見の新しい作品とアヴィニョンの行く手

仕事に戻った典子は、伊豆の夜に高見の子を身ごもったのではと期待するが、それは実現しないまま終わった。

そして、高見から六十号の絵画が届く。題は『雨の坂道』。黒の濃淡で描かれたその作品は、寂しい風景であったがどこからか人間の賑わいが聞こえてくるようだった。その絵を見た加賀も、二十七歳の若い画家の描いた作品を褒める。そして、典子と画家の関係をそこから読み取る。

その日、松木かづ子が抜けたJEBの会がレストランにやって来る。新たに幹事になったという新藤ふみという女性は義直の中学時代をよく知っていると言い、典子は動揺する。

興信所から典子が依頼した娘の報告書が届いていたが、裕福な環境で育っていることがわかっただけで典子には深い感慨はなかった。

気持ちを落ち着かせるために、典子はリードの元を訪れる。リードは、マイクとジルはもうもとには戻れないと嘆き、香港から来た謎の男が去ったあと、なぜか黄健明が日本を発ち、さらに後藤が解雇されたことを典子に伝えた。

リードは、香港から来た男について典子が知っているのではないかと疑うが、黄健明の助言に従って典子はなにも語らなかった。

典子を相手に挑戦してきた荒木夫婦は、足下に火がつき始めたにもかかわらず平然とアヴィニョンに姿を現した。典子も知らぬ顔で二人の相手をするが、自らの勝利を確信する。

しかし、リード・ブラウンの家族が収束不可能なまでに傷つき、アヴィニョンの従業員たちも無傷ではなかったのに、自分だけが守られていることに忸怩たる思いを抱く。加賀はそれに対して、それは将来の典子を暗示していると典子を慰める。

リツの家に酔っぱらった赤垣が現われたと聞き、典子はリツの家に駆けつける。すでに赤垣は小柴によって追い払われていた。典子は、新藤ふみについてリツに語る。火事で義直の写真を消失していたリツは、新藤ふみが持っているという義直の写真を見たがる。

リツの懇願を受け入れ、新藤ふみのもとを訪れた典子は、彼女も平坦ではない人生を生きていることを知る。ふみの夫は、二十年前にある女性に恋し、家を出ていった。しかし二十年間、毎月律儀にふみに生活費を振り込み続けている。

義直の友人であった息子は、アメリカで生活していて三年に一度しか日本には戻らない。ふみは義直の思い出を静かに典子に語る。ふみの家の庭で、中学生の義直がカブト虫を探しながら「何年経っても無駄だとわかったら、いますぐあきらめられるのに」とつぶやいたのが、ふみに離婚を決心させた瞬間であった。ふみが典子に手渡した写真には、坊主頭のふみの息子と義直が肩を組んで立っていた。

リツはその写真を見ながら、改めて息子の早死にを嘆き、若くして未亡人になった嫁を甲斐家に縛りつけていたと典子に謝罪する。リツはそれでも典子を頼りにしている様子を隠そうとはしなかったし、典子も気がおけない姑に甘えてみせる。

先の長い人生を思えば、甲斐家にこのまま残ることに後悔がないわけではないが、アヴィニョンを離れた自分の人生は考えられない、と典子は自覚する。

典子と高見は逢瀬を続けていたが、典子が恋人であり支援者であることのひずみが二人の関係に水を差すようになる。

高見の心の安寧が、経済的な安定ではなく画家としての成功からでしか得られないことを典子は納得はしていたが、体への愛撫だけではなく心も愛撫して欲しいと強く感じていた。しかし、高見は典子と自身の経済的な格差や社会的な成功度の相違にこだわりを捨てきれなかった。

リードが倒れ、救急車で病院に運ばれる彼に付き添った典子は、リードの息子マイクから今回の事件の真相を知る。
妻のジルは荒木の元で動物のように暮らしていたが、荒木たちを狂わせたのは香港から来た林玉徳だった。覚醒剤五キロをえさに荒木たちを引き寄せ、警察に通報したあと林玉徳は姿を消した。

赤垣は自暴自棄になり、典子が高見とつきあっている証拠写真をリツに見せに行ったという。計画は無惨な結果になったが、典子もアヴィニョンから追い出して道連れにしようという意図であった。

(photo by pixabay)

マイクは、荒木には足手まといになっているであろうジルを迎えに行くのに典子に手伝って欲しいと頼む。しかし、ジルは典子を拒む。典子は、ジルもマイクも自分のことしか考えない人間だと断罪する。

アヴィニョンに戻って午後まで睡眠をむさぼった典子は、階下に降りてそこに荒木夫妻の姿を見いだす。警察ではなく、もっとたちの悪い人間に追われてここで時間稼ぎをしているのだと荒木は語る。

荒木美沙は、林玉徳にめちゃめちゃにされた自分たちの計画に、典子がどのように関わっていたのかを追求する。そして、掃きだめに育った自分には持とうとしても持てないものを所持している典子を跪かせたかったのだと告白し典子を殴る。

そこに警察が現われ、二人を逮捕する。警察官は、加賀をひき逃げした犯人も赤垣良久も逮捕されたことを典子に伝えた。

典子は高熱で倒れ、それを聞いたリツはアヴィニョンに駆けつける。リツは赤垣から典子の恋愛について聞いていたはずだが、それはおくびにも出さず、ひたすら典子をアヴィニョンに縛りつけ、あげくに危険にさらしたことを謝る。

荒木たちの罪状が明らかになり、リードはジルと離婚をするマイクとともに故郷のイギリスに戻る決心をする。リードは、ブラウン商会の土地を典子に売りたいのだと持ちかける。そうすれば、アヴィニョンは店舗の拡張ができる、と。

典子は高見と会い、アヴィニョンもリツのことも従業員というしがらみも捨てられないと告げる。高見は、しがらみを捨てることは人生をおりることであり、人生からおりた人間に花は咲かないと典子を励ます。

高見は典子との別れを覚悟し、フランスに留学したいからこれから描く三点の絵だけ前払いで購入して欲しいと典子に頼む。

典子はブラウン商会の土地を買う決心をし、金策に奔走する。高見への思いは薄れることはなかったが、夜密かに彼を思うことは自分の自由なのだと言い聞かせる。

しかし、高見の作品の前払いとして典子が振り込んだ六百万円は典子の口座に戻されてきた。典子が高見に電話し追求すると、フランスには行かないと告げる。典子に逢いたくてたまらない、だからその気持ちに充実に行動する、と。その愛情の言葉は、典子が心から望んでいたものであった。

典子は、これからもアヴィニョンのために一生懸命働き、アヴィニョンを日本一のフランス料理店にしようと心に誓う。そして、たった一つのわがまま、高見との恋をリツに許してもらおうと決める。

その夜、閉店間際に典子が二階の自室の窓から外を眺めると、高見がいつものように閉店を待って外にたたずんでいるのが見える。その光景を、典子はうっとりと楽しむ。

従業員たちが店から出るのを待ちきれず階下に降りようとした典子は、興奮のあまり階段を踏み外して転んでしまう。その典子を、加賀と小柴が二階まで運ぶが、典子は電気をつけないでくれと二人に頼む。二人は真っ暗な闇の中を出て行き、典子は闇の中で高見を待った。

4.感想

宮本輝の作品は、読み終わったあとも謎を残すものが多く、なかなか一回読んだだけでは読みこなせないものが多い。
そして、読むたびに読後の思いは変わるし、読者それぞれに相違した真相を思い起こさせることが多いような気がする。
そのなかで、「花の降る午後」は非常に明快に悪が滅んでいく。

宮本輝はあとがきで、「善良な、一所懸命に生きている人々が幸福にならなければ、この世の中で、小説など読む値打ちは、きっとないでしょうから」と結んでいる。

ストーリーテラーとしての宮本輝氏の作品は、生への強い執着に溢れている。
無関心や無機質な社会を描き出し、その非現実感や速い展開を読ませることを得意とする作家が跋扈する昨今の文壇では、貴重な存在だ。
人生に疲れた時、バーンアウトしそうになった時、若かりし頃に書かれた宮本氏の作品を読むとまた元気が湧いてくるのは、作品の文間からにじみ出る、宮本氏の生への執着心が、我々に気力を送ってくれるからだろう。

夫の死後、ひたすらその事業と姑を支え、しかし悲劇のヒロインになることなく、若い画家との恋に溺れながらも敢然と生きていく典子という主人公は、幸福になるのにふさわしい人だと心から納得して読み終えられる、気持ちのいい作品であった。

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