有吉佐和子 芝桜のあらすじ│家族に恵まれない女たちのたくましい生き方

有吉佐和子の「芝桜」は、芸者として売られた家族に恵まれない女たちが、経済力のある男を旦那として摑まえ、自分の居場所を見つけたくましく生きていく姿を、大胆に描いた作品である。

一本気で筋の通らないことが大嫌いな主人公の正子と、計算高くてずる賢く、嘘と不徳で世渡りをしている蔦代という二人の女の人生が絡み合いながら、清濁併せ呑む展開で進んでいくのである。

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1.雛妓(おしゃく)の正子(まさこ)と蔦代(つたよ)

津川家(つがわや)は、芸者を十五人も抱える大所(おおどころ)の芸者屋である。芸者になるために稽古を積む雛妓の正子と蔦代は、性格は正反対ながら「御神酒酒徳利(おみきどっくり)」と呼ばれていつも行動をともにしている。

一歳年下の正子は、潔癖で真面目で津川家でも優等生である。十五才の正子は稽古ごとも真面目に励み、いい芸者になる努力を惜しまない。一方の蔦代は、ちゃっかりもので計算高く要領がよすぎるきらいがある。稽古も熱心ではなく、さらに字が読めないことを恥じようともしない。そのため、同じく潔癖で癇性の津川家の女将阿や八(あやはち)は正子に期待をかけ、できれば自分の跡目を正子に、ともくろんでいる。性格だけではなく容姿も二人は正反対で、正子は小柄で丸顔、蔦代は上背がある面長である。二人とも、若くて美しい雛妓として土地では知られている。

ある日二人は、夏の稽古の帰りに寄った縁日で金魚すくいをする。阿や八に期待されて小遣いに困らない正子は、大枚をはたいて金魚すくいをするが、一番の大物だけを狙う正子の性格が災いして、金魚は一匹もすくえないで終わる。蔦代はそれをそばで見ていたのだが、帰りがけに死んだ金魚を「供養するからちょうだい」と引き取る。蔦代は植木屋で盆栽や鉢を念入りに眺めるが、正子に僅か十銭を出させてようやく買ったのはしおれかけた芝桜だった。蔦代は津川家の庭に金魚を埋め、その上に芝桜を植える。蔦代のあまりに合理的すぎる言動に、毎回正子は慄然とするのである。

(photo by pixabay)

ある日、稽古が終わった帰り道に、正子は女のしるしを見る。正子にはすでに鉄鋼界の大物が旦那につくことが決まっており、水揚げ前から相当な金額が彼から津川家に渡っていることを正子は知っている。だから、近い将来に起きるであろう男との関係を思い、羞恥心を覚える。

美貌の正子と蔦代、それに同じ土地の「鶴もと」に抱えられている同年代の「小万」の三人が、将来この土地をしょって立つ逸材であることは誰もが知っていたが、阿や八は表向きは信心深く殊勝に見える蔦代の将来を直感で危ぶんでいる。
阿や八の予感通り、蔦代は旦那も決まらないうちに三流の待合で処女を売ってしまう。阿や八は激怒し、朋輩たちは蔦代をさげすみの目で見るが蔦代はいっこうに答えない。

心配した正子が事情を尋ねると、おっ母さんに送るお金が欲しかったからだという。正子は、両親を早くなくしたとはいえ、父はそれなりの大きな商いをしていた。だから、父の全盛時代の贅沢も知っている。いっぽう、蔦代の父は大工で、美男であった父に惚れて捨てられた母は、生まれた蔦代を幼いうちに芸者屋に売っている。だから、蔦代のほうが芸者屋の金のからくりにもくわしかった。正子は、蔦代の世慣れた言動よりも、親孝行のためと言った言葉に感動する。

阿や八は、幼い頃から際だった美貌を持つ蔦代のかなりの借金も一緒に引き取って一流芸者に育てようともくろんでいたのだが、蔦代は行動の端々に抜け目のなさや貧相さがかいま見えてなかなか良い旦那もつかない。稽古事も、才がないわけではないのに正子のように熱心に励もうと努力もしないから、師匠たちのお覚えもよくなかった。

正子たちのライバル鶴もとの小万に、船会社社長が旦那につく。社長が小万に買い与えたエメラルドが土地でも評判になった。阿や八は焦り、正子の旦那となることを約束している鉄鋼会社の若社長、江藤にもルビーとダイヤモンドの指輪を買わせることに成功する。しかし、その豪奢な指輪が正子の指を飾った日の晩、周りの予想に反して江藤は正子と床をともにしないまま帰宅する。

拍子抜けした正子は蔦代に誘われるまま、歌舞伎役者の河村屋一座が来るという座敷に向かう。河村屋の若旦那延二郎は顔ばかり大きい魅力のない男であったが、弟子の一人仙七は正子に一目惚れをし、待合に正子を呼び出す。若い二人は見つめ合うばかりで、その夜はなにも起こらずに終わった。

しかし噂は土地中に流れる、阿や八は、信用していた真面目な正子に裏切られた思いになり、二日間お座敷に出ることを禁じ謹慎させる。お茶を挽く芸者の惨めさを肌で感じた正子は、仙七への思いはともかく売れっ子の芸者になることを自身に誓う。

江藤の洋行前のある晩、正子はついに江藤に抱かれる。そして改めて、仙七への思慕を深くした。そして、これだけのことを周りのお膳立てもなく一人で行ってしまった蔦代の才覚と大胆さを実感する。

その蔦代は、自分で旦那を見つけてきた。田舎大尽で花街では嫌われているのだが、蔦代を水揚げしたのは自分だと思いこみ金も出したものだから阿や八も承知するほかなかった。
蔦代は無筆を売りにしている女なので、ようやく小遣いが自由になると母親に送金し、手紙の代筆を正子に頼む。正子はその内容が、母親をうれしがらせるだけの嘘八百なのに驚くが、蔦代は親孝行なのだからと泰然としている。

旦那の江藤の洋行中だと知っている花街の客たちは、正子にちょっかいを出すが真面目な彼女は見向きもしない。仙七への思いだけが強くなり、河村屋一座の座敷への誘いだけは心が揺れるが、江藤が洋行中と言うことがかえって正子の心に歯止めをかける。姉さん芸者たちに誘われて、河村座や演じている新富座には出かけた正子は、河村座の血は引かなくとも仙七が容姿でも演技でも若旦那の延二郎を上回る役者であることを知り、さらに思慕を募らせる。

洋行から帰る江藤が神戸に着くというので、阿や八と正子は待合の花村の女将と出迎えに神戸に向かう。神戸の港には、江藤が贔屓にしている他の土地の芸者たちも出迎えに来ていたが、正子の目をとらえたのは、洋装で大きなダイヤモンドを指にはめていた江藤の妻であった。

江藤は数日後、正子を座敷に呼ぶ。夜の床で江藤が渡したのは、ロンドンの宝飾ブランドのダイヤモンドの指輪であった。1,5カラットのダイヤモンドを前にして、正子はいらないと突っぱねる。正子にはダイヤのブランドも質も関係はなかった。大きさが気に入らなかったのである。江藤に妻がいることに苦しんだことはない正子だが、妻でない芸者という身分を、ダイヤの大きさから実感し江藤に反発する。江藤はまだ雛妓の女にムキになって反発されたことをかえって愉しみ、正子が一人前の芸者として披露するさいには3カラットのダイヤを贈る約束をする。

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2.芸者となった正子と蔦代

正子より一歳年上の蔦代も、ケチな旦那の世話で芸者としての披露をすることが決まったのだが、蔦代の知恵で正子の披露に便乗することになる。正子の着物を借り、江藤が最初に正子に贈った小さい方のダイヤを指にはめて、蔦代も一本になる。正子は津川家の名妓の名を継ぎ、梅弥と名乗るようになる。

一本になってからの正子は、生来の勝ち気と機知で座敷での評判は上場であったが、江藤という大物を旦那に持つという強気もあり、次第にわがままになっていく。それは、芸者という日の当たる道を歩けない自らの身分への鬱憤でもあった。遊び慣れた江藤は、かえってその正子の勝ち気を面白がる。阿や八は、正子のわがままをたしなめるが、正子の義理堅さは信用していて自分の養女に迎えようと考えはじめる。

いつものわがままで江藤の座敷を飛び出した正子は、偶然に仙七に出会う。仙七は、次の日に吉田という待合で待つ、とだけ正子に伝え去っていく。
次の日、約束通り二人は吉田で会い、初めて結ばれる。河村座では、父の死で若旦那から旦那になった延二郎の人気が仙七のそれを下回ることから、仙七を河村座の一族の娘と結婚させようとしていた。旦那をもつ芸者の正子と、歌舞伎界でしがらみを抱える仙七は将来を誓い合うようになる。

仙七を恋慕することを隠さなくなった正子は、江藤にも気持ちを打ち明けてしまう。江藤は旦那の余裕で、仙七も金で買って二人を会わせてやる、と面白がるのだが、正子は断固これを拒否する。正子の自尊心の強さと気っ風の良さを好ましく思う江藤は、逆に正子への執着を深める。

花柳界にいても世慣れていない正子は、仙七との逢瀬の算段がなかなかつけられない。蔦代は、陰部屋で小遣い稼ぎをしているため正子の事情を察すると、仙七と会う知恵を正子に授ける。
河村屋の弟子である仙七は小遣いも多くはない。勝ち気な正子は、自分の愛する人が貧しい身なりでいることが我慢できず、身銭を切って仙七の着物や身の回りのものを買うようになる。正子はより稼ぐために、お座敷を真面目に勤めるようになり、元々踊りの才もあったことから梅弥の名はまたたくまに頭角をあらわすようになる。正子自身も、贅沢に馴らされて雛妓のころから過ごしているのだから、みすぼらしい着物でお座敷には出ることができない。

正子が金に詰まっているのを見た蔦代は、正子が江藤から送られた舶来のダイヤモンドを格安の500円で買い取ると言い出す。大卒の初任給が35円の時代、蔦代が分割で毎月正子に払う50円はあっという間に仙七の着物や待合への支払いで消えてしまう。それでも正子は、仙七の生まれ年の鼠や、河村屋の裏紋である三重丸を自分の着物にあしらい、仙七への思いを隠そうとしない。

正子を抑えきれなくなった阿や八は、正子を正式に自分の籍に入れる手続きをはじめる。芸者を辞めて、仙七の妻になることを夢見ている正子には、見たこともない先祖の仏のお守りまでするのかと憮然とするが、蔦代は「いずれ正ちゃんも養女をとればいい」とこともなげに言う。正子は、本名を木村こうという阿や八の養女となり、木村正子となった。

蔦代の最初の旦那はわずか一年しか続かず、そのあとは正子にちょっかいを出していた田舎ものを旦那にして、蔦代もわずかだが金回りが良くなる。
阿や八がライバル視している「鶴もと」の小万は、水揚げ前に旦那が破産したが、新たに製薬会社の社長が旦那となり、「鶴弥(つるや)」と名乗るようになる。美しい三人の芸者は、お座敷でも人気であったが、容姿・機知・気っ風を併せ持った梅弥の正子は売れっ妓で、江藤は正子の役者への恋心を苦々しく思いながら手放しかねている。歌舞伎界の人気者になりつつあった仙七が正子一人に熱中していることも噂になり、かえってそれが正子の人気を煽る結果になった。

その頃、江藤の座敷に小森という株屋が顔を出すようになる。彼が花札の名手と知り、正子も蔦代も小森から遊び方を教わる。小森はかねてから正子に思いを寄せているのだが、旦那である江藤に遠慮をして芸者の負けもすべて自分で払ってしまう。

翌大正九年は不景気で、株屋の小森はあまり姿を見せなくなる。津川家の抱えの芸者も、不景気のあおりで四人も旦那を失う。
その不景気のさなか、田舎出身の代議士の蔦代の旦那が、蔦代を落籍(ひか)したいと言い出す。蔦代のそれまでの借金もすべて支払うというので、蔦代は芸者業に未練を残しながらも田舎落ちする決心をする。親孝行の蔦代は、田舎の妾宅でも母親が引き取れることを喜び、花街に引き祝いもせずに去っていく。蔦代が雛妓時代に植えた芝桜は、その頃には津川家の庭一面を覆いつくしていた。

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3.津川家の女主人となった正子

それから五年、阿や八が風邪をこじらせて急死した。正子は二十二才になっていた。それを機に、蔦代が田舎から上京してくる。蔦代は文盲だから、五年の間のお互いの消息は知らないままで、五年ぶりに出会った二人は互いの状況を語り合う。

正子には相変わらず江藤が旦那として後ろについているが、二十代で津川家を背負うことになる。蔦代は、田舎の代議士の二号をしていたのだが、選挙違反をした旦那の代わりに投獄されたり本妻亡き後は後妻にという話もあったのだが、田舎暮らしにけりをつけて正子が女主人となった津川家からふたたび芸者として出る決心をしていた。

津川家の二階に住み着いた蔦代は、正子ができない抱えの芸者たちのしつけをはじめてしまう。津川家の抱えの芸者には才覚に恵まれた女が少なく、正子も苦労が絶えない。
梅弥の正子は、芸者としては機知頓知と美貌に恵まれて、今は政治家を旦那に持つ「鶴もと」の鶴弥と並んで土地の顔となっていた。
「さくら」という新しい名で披露した蔦代は、その美貌と身繕いの見事さで土地の人々を驚かす。

正子の恋人仙七は、自分の旦那である延二郎が、大名題の「芳沢三延」を継ぐことが決まり、正子に不満を漏らす。延二郎は相変わらず演技が下手な上、容姿もさえず、大名題(おおなだい)にふさわしいとは誰も思っていない。弟子の仙七の才能と人気を見込んで、先代三延の未亡人が自分の連れ子を仙七と結婚させようとしたこともあった。しかし、正子に惚れ込んでいた仙七がこれを断ったため、仙七は河村屋の高い名を継がせてもらえないでいた。逆に延二郎は、梨園の名門成田屋の娘と結婚して、閨閥(けいばつ)の後見があるという点では問題がなかった。

延二郎と歌舞伎の世界に不満のある仙七は、会社を変わって河村座を出る決心を正子に伝える。七年のつきあいの中で、苦しい思いもしてきた正子だが、これでようやくしがらみから離れて仙七の妻になれると感動する。

しかし、津川家の後始末と江藤との関係を清算しなくてはならない。蔦代が「さくら」として芸者に出るようになって以来、津川家の芸者たちもよく働くようになり実入りは良くなった。それを見て、正子はつくづく自分が芸者屋の女将に向いていないことを感じる。阿や八が亡き後、正子の下手な経営で津川家に赤字が出ても家内をまかなってこられたのは、正子の旦那が江藤だからである。言葉では丁々発止とやり合っても、いざとなると正子も江藤に申し訳ない思いが強かった。

ところがある日、その江藤の口から仙七が「歌仙(かせん)」という名を襲名すると聞き仰天する。正子は急いで仙七を呼び出して事情を聞く。延二郎が三延を襲名するだけでは心配な周囲が、仙七を河村屋の女形の名である「芳沢歌仙」に継がせて八方をおさめることになったという。すべて、先代三延の未亡人の肝いりであったが、正子は未亡人と仙七の仲を疑い嫉妬する。しかし、「歌仙」を襲名して河村屋に残るのを条件に、未亡人も仙七と正子の結婚を許すことになった。

正子は、仙七に独力で俳優になってもらいたい思いへの未練はあったが、結婚することを考え、津川屋の始末を考えはじめる。看板ぐるみ津川家を売った金で、仙七を経済的に支えるために宿屋をやろうと決める。
ちょうどその頃、津川家の芸妓の一人が独立し、「若津川」という芸者屋を持つことになった。入ってきた金で、正子は仙七の歌仙襲名のまとまった祝いもできたのだが、実際に襲名公演を見に行き、歌仙はまったく脇役にまわされていることを知り落ちこむ。やはり、男らしく別の会社で小さな旗でも揚げてもらいたかった、と勝ち気な正子は嘆く。

江藤も頭を抱えていた。七年もの間、仙七という男に正子は心を捧げてきた。江藤にとっては金で自由にできる芸者でも、心までは縛りつけられない。仙七以外の男と正子が結婚するというのであれば、旦那道を通して嫁入り支度でもするのに、とぼやく日々である。
江藤は、ある日座敷に出ていた蔦代にその愚痴をこぼす。蔦代には、大きな酒造家の主人が旦那としてついたばかりで、蔦代の着物姿を高名な画家に描かせようとしたりと派手な旦那である。その旦那の後見で、蔦代は「花津川」という芸者屋を開いたばかりだ。蔦代は、金さえ惜しまなければ正子と仙七を切らせてみせる、と江藤に告げる。

その翌年の正月の衣装に、花街は大騒ぎになった。まず「さくら」の蔦代は高名な画家が選んだ絢爛なものであったし、鶴弥も別の画壇の重鎮に紅富士を描かせて出の衣装にした。
正子は、先に控えている仙七との結婚を思い、「六歌仙」の二人ずつが描かれた着物を、正月の三が日に着替えるという花街中をうならせる趣向であった。ところが、こうした一流の芸者の衣装道楽の裏をかいて、一本になりたての芸者が着物に七枚の百円札を裾に綴じつけてお座敷に出て、人々の関心をかっさらってしまう。。吝嗇(りんしょく)な蔦代は、この名も知られていない芸者の成金主義に感心してしまう。

正月の騒動が終わったころ、正子は売りに出ていた木挽町の宿屋を検分に行く。歌仙が河村屋に残るのならば、舞台はもっぱら歌舞伎座になるから出勤やお客の接待にもちょうどいいだろうとほぼこの物件を買うことを正子は決める。
蔦代は、一緒に住むようになった母親の自慢の漬け物を持って正子の元を訪れる。正子の決心を聞き、芸者を辞めて結婚するという正子を惜しむ。

ある日、歌仙から正子に電話が入った。新三延に愛人ができたらしい、という。噂によれば、正子がいる花街の旦那持ちの芸者だという。今まで成田屋の娘である妻に押さえつけられ、浮いた噂もなかった三延の浮気の首尾に歌仙は手を貸すつもりらしい。三延は歌仙の主筋だから、その相手には正子も礼を尽くさなくてはいけない。土地の中では一流の売れっ妓で通ってきた正子は、相手を詮索して不安になる。
そして正子は、いよいよ迫ってきた歌仙との結婚を控え、江藤への宣言をどうすればいいのかと悩む。長年花柳界にいれば、江藤が望みうる最高の旦那であったことは正子も否めない。

久々に株屋の小森が座敷に現われ、芸者たちに麻雀を伝授する。正子や蔦代は徹夜で楽しむが、翌日の夜のお座敷には三延とその相手が来るから顔を出すようにと歌仙から伝えられていた。正子は着るものからして悩む。歌仙の主筋の三延の座敷なのだからと、正子は地味につくって出かける。正子の頭の中には、正月に着物の裾に百円冊を綴じて噂になった三流の芸者の姿がちらつく。

(photo by PAKUTASO)

約束の「槇村」で待っていたのは、三延と「さくら」の蔦代であった。さらに、歌仙が二人に媚びへつらうように振る舞っていることに正子は言葉が出ないほどショックを受ける。正子にさんざん「芸者に惚れるのはよせ」と言い続けた蔦代がこの場に登場するとは、正子は想像もできなかったのだ。上座に座った蔦代の言動に我慢ができなくなった正子は、座敷を飛び出す。正子は、蔦代の衣装が河村屋の三重丸を散らした爪綴れであったことから、二人の仲が昨日今日にはじまったものではないと悟る。爪綴れは、注文の柄を織り出させるのに時間も手間もかかる帯だからだ。蔦代に、歌仙の上司の女としての礼を尽くすことは、正子の矜持が許さなかった。

芸者はやめる。そして歌仙とも別れることを正子は決心する。「槇村」での歌仙の幇間(ほうかん)じみた振舞にも、正子は我慢できなかったからだ。未練もなにもなく、正子は別れを決意する。

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4.芸者をやめた正子、その後

歌仙との別れを決めた正子は、生きる目的を失い踊りの稽古にも身が入らない。稽古の帰り道、正子は偶然小森と出会う。小料理屋での昼食に誘った小森に、正子は芸者は辞めるが結婚はしないと告げる。小森は自分には妻がいないことをつげ、正子に気持ちを伝える。二人はそのまま結婚の意志を固める。

正子は芸者を辞めることを、江藤に告げに行く。江藤は、蔦代に言われたとおりに金を出したのに、正子が芸者を辞める決心を告げに来たことに苦りきる。正子は歌仙とは結婚しないが、小森と結婚することを江藤に話す。江藤は、小森の男としての器量は正子という一流の芸者を妻としては持ちきれないであろうから、結婚だけは思いとどまるように説得する。
そして、蔦代と共謀して正子と歌仙を別れさせようとしたからくりを告白する。正子は、それまで紳士的な振舞しかしてこなかった江藤が、正子の気質を利用して卑怯な企みをしたことに傷つく。そして、江藤の元から去る。
津川家には、歌仙からもしつこいほど電話がかかってくるが、正子はもう電話にもでない。

正子と結婚できることに有頂天になっている小森は、落籍祝いの配りものにも着物にも、正子がすでに手付け金を打ってあった木挽町の宿屋の購入にも、金を惜しまなかった。ところが、着物を作る段になって正子が小森に彼の家紋を尋ねても、小森はわからないという。正子は改めて夫となる男の出自の低さを実感する。

江藤の威力が行き渡っているお茶屋では、正子も落籍祝いの席が設けられない。二人の男の器量の差を見る思いの正子だが、結婚へのあこがれを止めるには至らなかった。結局、鶴弥のとりなしで、江藤とは関係のない料亭で披露をすることになる。

蔦代とはあれ以来絶交状態であったが、蔦代の母が正子を訪ねてくる。蔦代の母は、事情はわからないまでも、蔦代が正子に縁を切られたことを毎日嘆いている、と告げる。正子は、蔦代を許すとは言わなかったが、落籍祝いの針箱だけは蔦代の母に渡す。

5.結婚と破綻

正子は小森と結婚するが、周りが案じたように結婚生活は平坦ではなかった。小森が莫大な借金を抱え、正子は妻としてできる限りの援助をし、木挽町の宿屋も金目の物もすべて手放した。ようやく小森の状態が落ち着いたころ、二人の気持ちも醒めはてて淡々と離婚することになる。

一人になった正子は、四谷に五部屋しかない素人家(しもたや)風の旅館を買い、「喜(き)村(むら)」と名づけた宿屋を開業する。正子は、結婚するさいに「津川家」の家屋と土地は手放したが、買い手の素性を怪しんで、土地の名門であった「津川家」の屋号だけは手放さなかった。「喜村」を開業できたのも、かつての津川家の雛妓が出世し、この看板を買い取ってくれたおかげであった。

離婚後の正子は、宿で出す朝食のために味噌汁や漬け物の腕を上げることに邁進する。しかし、つましい堅気の生活に幸福感を見いだしていた。一日を身を粉にして働いても、「喜村」を流行らせるための働き甲斐があったからである。

ある日、正子の元に鶴弥がやってくる。鶴弥の変わらぬ美貌と色気に驚く正子だが、彼女はひどく落ち込んで正子の元に相談に来たのだった。
蔦代は、かつての「津川家」の土地を買い、「九重」という大規模な待合を開業していた。その待合で、鶴弥は若い恋人と逢い引きを重ねていたのだが、鶴弥の弱みを握った蔦代は鶴弥に客をとらせるようになったのだという。蔦代に意見できるのは正子だけだから客を取らせないように頼んでくれ、と言われ、正子は引き受ける。

久々に蔦代に会うことになる正子は気が高ぶり、着物を新調する。かつての津川家に出入りしていた呉服屋から、蔦代の阿漕(あこぎ)な商売の噂を聞き、正子はいよいよ気を引き締める。
九重を訪れた正子は、造作の構えの大きさに驚く。蔦代は留守で、蔦代の母が正子の相手をする。蔦代の母とは思えないほど鈍重な女だが、邪気のない老婆と正子は話が進んでしまう。とくに、漬け物の名人である蔦代の母に、正子はその秘訣を聞き出して盛り上がる。
自分の使命を思い出した正子は、別の日に出直してこようとするのだが、そこに蔦代が帰ってくる。
蔦代は大仰に正子の来訪を喜び、鶴弥からの頼みも、正子が蔦代と友達づきあいを再開してくれるならという条件で、言葉をごまかしながらだが聞き入れる。
正子は、蔦代の母が丹精した漬け物を堪能し、津川家にいた頃に蔦代がかわいがっていた猫の子までもらって家に戻る。

鶴弥は正子に感謝し、蔦代は正子とのつきあいの復活を喜ぶ。さっそく正子を訪ねてきた蔦代は、昔話をはじめるが、それが正子の記憶とはかみ合わない。正子にとっては思い出したくもない過去ではあったが、筋は通して生きてきた。それが、蔦代の手にかかるところころと嘘が転がり出てくる。蔦代は花街のうわさ話をし、長話の最後に鶴弥と麻雀をする約束をして帰って行く。四人必要な麻雀のために、蔦代は鶴もとの弥千代という芸妓を呼べと指図する。蔦代も鶴弥も、弥千代がかつての梅弥に似ているというのだが、そう言われて正子は、弥千代の態度に軽薄さを見いだし親近感が持てない。
その弥千代を、蔦代は養女に欲しいと言いだして鶴弥を驚かせる。鶴弥は、目を輝かせる弥千代を引っ立てるように急いで帰り、蔦代は正子の部屋に泊まる。
花柳界に残っている鶴弥と蔦代の二人を見て、正子は改めて宿屋という堅気の商売が自分の性に合っていることを感じる。

蔦代は正子との仲が復活すると、頻々と「喜村」を訪ねてくるようになった。植木の手入れが好きな蔦代は、「喜村」の庭の世話もするようになり、正子は雛妓であったころの芝桜を思い出す。
世の中は不景気だったが、「喜村」は繁盛を続けており、正子は地所を買いひろげて宿屋から割烹旅館へと移行させていった。

その「喜村」の常連は金持ちが多かったが、「喜村」の静かな佇まいに惹かれて、つてもなしに客になった山田(やまだ)一人(かずと)という男がいた。身なりからしても金のある男ではなく、いつも一番安い松の間に泊まるのだが、山田がいつも机に向かい書き物をしたり横文字の本を読んでいるのを見て、正子は彼を「先生」と呼び畏敬の念を抱いていた。
日本の世情は、戦争に向かってめまぐるしく変化していたが、山田は正子にわかりやすく農村の窮状や世界恐慌について説明する。正子は、山田の口調から彼が左翼側の人間ではないかと推測する。

ある日、正子は蔦代と芝居を見に行くことになった。鶴弥から贈られた日本に四反しかないという豪奢な反物を黒に染めた正子は、その着物に袖を通して久々に贅沢な気分を味わう。ところが待ち合わせの歌舞伎座の前にいた蔦代も、鶴弥から巻き上げた同じ反物の着物を着ていた。面白くない気分の正子だが、久々に歌舞伎座で芝居に酔う。しかし、プログラムの大喜利は戦意高揚のための劇が上演され、正子は世情を実感する。

「喜村」に戻ると山田一人が来ていた。満艦飾のまま、松の間に挨拶に来た正子を見て、山田はその美しさに驚嘆する。そしてその夜、二人は結ばれる。
正子はしかし改めて、山田一人のことを何も知らないことに気がつく。常に机に向かっている人、という以外は正子にはわからない。しかし、その様子から妻があるであろうことは察せられた。それでも、正子は肩書きばかり立派でくだらない男を花柳界で見てきた反動で、ひたすら本を読み書き物をする山田への思いを募らせる。

山田は、自分の素性を明らかにしようとはしなかったが、宿を去るさいに宮沢賢治の詩集を置いていく。満州事変が起こり、ストライキが頻発していた。正子はひたすら山田を待つ日々を送るようになる。
山田は来るたびに手垢のついた古い雑誌も置いていくようになった。「戦旗」や「プロレタリア芸術」などを正子も読むようになる。山田自身は、主義主張を正子には何一つ語らなかったが、正子は世の中の貧しい人たちに目を向けるようになる。
左翼への弾圧が激しくなり、山田にも危険が迫りつつあった。
ある春の日、山田は珍しく正子の自室で、庭の芝桜を見ながら食事をする。山田は、共産党の機関誌を一冊残して喜村から出て行く。無事に尾行から逃れたら、48時間以内に正子に電話をすると約束して。

いらいらと山田からの連絡を待つ正子の元に、蔦代がやってくる。旦那を失った鶴弥が軍需成金と結婚するのだという。蔦代の品のないおしゃべりに、正子はいらだちを募らせる。山田からの連絡はないままに終わる。正子は、最初から長くは続かなかったであろうことは予想していた関係であっても、心から尊敬し愛した男と過ごした時間を抱きしめる。

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6.戦中・戦後の喜村

戦争が始まり、空襲で蔦代の「九重」は消失する。蔦代は母親とともに、焼け残った「喜村」に避難してくる。腐れ縁のように、正子は蔦代と縁を切ったり復活したりを繰り返したのだが、空襲の焼きだされを追い出すわけには行かなかった。蔦代は、母親を田舎に疎開させ、自分は「喜村」の庭にカボチャの栽培などをはじめ、甲斐甲斐しく働く。
昭和二十年八月十五日の終戦後、正子は「喜村」に持ち込まれる闇物資をどんな高値でも買い取るようになる。生き残ったものは食べなくてはいけない。正子は庭の防空壕に埋めてあった着物の虫干しもはじめる。その中には、芳沢歌仙に恋していたころの河村屋の裏紋や鼠がついた袖を通していない着物もあった。正子には未練もないこの着物を、蔦代は嬉々として受け取る。白米、たばこ、チョコレート、あらゆる闇物資が、焼け残った「喜村」に持ち込まれた。正子はそれらを、証拠隠滅という大義名分のもと、客や女中たちにまんべんなく振る舞う。

戦中に獄中に入れられた思想犯たちが次々に開放されたが、正子が目をサラのようにして新聞を探しても「山田一人」の名前はなかった。
蔦代もいつまでも正子の所に居候をする気はなく、軍需成金の小倉という男の二号の家を引き取り待合を再開するという。鶴弥の夫も、軍需成金として金には困らなかった上、戦後も事業は順調であった。正子は、山田のことも面白半分に探ろうとする蔦代を扱いかね、早く出て行って欲しいと願うが、蔦代は自身の事業が軌道に乗る前に母親を疎開先の田舎から喜村に連れてくる。蔦代の母は老齢で、惚けが始まっており、満腹感を感じないのか喜村で出される食事はあるだけ食べてしまう。

ある日、弥千代が正子を訪ねてきた。弥千代は、戦前に蔦代の甘い言葉に惹かれて養女にされていたが、抱えの芸妓より酷い扱いで客を取らされ、蔦代と縁を切るために結婚していた。戦後、お坊ちゃん育ちの夫は仕事もできず、弥千代がふたたび左褄(ひだりづま)をとり家計を支えることにしたので、蔦代が意地悪をしないように計らって欲しいと正子に頼んできたのだ。蔦代は逆に、弥千代に新たな「九重」で仕事をしろと誘う。
弥千代もその日から「喜村」にお運びとして居着いてしまった。

「喜村」に警察がやってきた。「木村正子」を、連合軍の指令で本署に連れて行くという。なぜか蔦代が、木村正子を名乗り、正子の狐の襟巻きを巻いて警察官と出て行ってしまう。連れて行かれた理由がなんなのかわからないまま、正子は蔦代の留守に彼女の母親の面倒を見る羽目になる。耄碌(もうろく)しはじめた蔦代の母は、常におなかをすかせており、真夜中でも食べさせてやらなくてはいけない。

結局一度も聴取されないまま、蔦代は「喜村」に戻ってくる。蔦代は、自分が警察に呼ばれた理由は「小倉」についての聴取だったと嘘をつき、小倉に事業の資金を調達させる。蔦代は、疎開から戻った荷物も正子と自分のものの区別がつかないとへりくつを述べて、正子の大事にしていた紫檀の机をわがものにしてしまう。

そこへ、特攻隊に参加していた安川誠という青年が「喜村」に現われる。招集される前に、蔦代の客になり、その体におぼれた誠は蔦代と結婚の約束をしたのだという。青年は二十歳そこそこで、招集前夜の蔦代の言葉を支えに戦争を生き抜いたのだと正子に告白する。蔦代は誠に、十歳もさばを読んで年齢を偽っていたのだ。困った、困ったと言いながら、蔦代は正子からもらった河村屋の紋の入った着物を着て誠と部屋に籠ってしまう。

「喜村」には食べ物がある、という噂が流れて、さまざまな客が訪れるようになった。戦後に成り上がった客の一人がある日、芳沢歌仙を連れて「喜村」にやってきた。歌仙は飢えきっており、女形とも思えない有様でむさぼり食い、正子をしらけさせた。

ようやく、蔦代が母親と弥千代、安川誠、さらに「喜村」で手なづけた三人の女中も連れて「九重」に引っ越していく。
「喜村」に出入りしている政治部の新聞記者たちに、正子は山田一人が置いていった「赤旗」を見せる。記者はその名を聞き、「山田一人」は偽名であったのではと正子に告げた。
新聞に名前が載らない釈放された思想犯はまだたくさんいることも記者は正子に伝えて、希望を抱かせる。

蔦代が一族眷属(けんぞく)を引き連れて出て行った「喜村」には、ようやく平和が戻りつつあった。戦中には、「喜村」の庭に野菜を植えたから、蔦代が植えた花や木は姿を消したはずなのに、庭の片隅に二つだけ小さな花をつけた芝桜を正子は見つける。蔦代と永遠に絶交するのだという安心感から、正子は芝桜を穏やかな気持ちで見つめ続ける。

7.まとめ

東京の花街の威勢のいい語り口や、一流と呼ばれる芸者たちの啖呵が、読んでいても気持ちよく心に響く作品「芝桜」。
主人公の正子は、一本気で筋の通らないことは大嫌いな女であり、もう一人の蔦代は嘘と不徳で世渡りをしている女である。
二人とも美貌で賢いことは同じであるが、生き方はまったく違う。

正子は、蔦代の生き方を毛嫌いし、何度か絶交をするのだが、腐れ縁のように二人は復縁し、結局お互いのことを最も知るという不思議な仲が続く。
有吉佐和子は、こうした女の二面性をさまざまな作品で描いてきたが、「芝桜」はその中でも白眉であろう。
読んでいる読者は、正子の真っ正直な生き方に肩入れし、蔦代が正子にべたべたと執着し続けることにいらだちも覚えるのだが、最後は蔦代の愛嬌に笑い出してしまう。芸者に売られた家族に恵まれない女たちのたくましい生き方を、最後まで気持ちよく読むことができる。

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