有吉佐和子 一の糸のあらすじ│愛情と厳しさを教えられて育った裕福な娘の物語

有吉佐和子の「一の糸」は、裕福な商人の家に生まれた一人娘の茜が、視力を失い生きる関心を失う中、露沢清太郎の三味線に出会うことで視力を取り戻し、世間知らずで周りを振り回しながらも、後妻となり、9人の継子を育て、気丈に、筋を通して、夫を支えながら生き抜いていく物語である。

何不自由のない暮らしから、ある日突然父を失い、一転して世間の荒波に揉まれる茜が、立派に生き抜いていく姿には、茜を育ててくれた立派な父と母の影響だと感じることができる作品である。

スポンサードリンクス




1.茜と一の糸

新川(今の東京都中央区)に造り酒屋を営む渡部大造は富裕な大商人で、妻世喜(せき)との間に一人娘茜(あかね)がいた。豪奢をこよなく愛する大造は、一人娘の茜を財にあかせて贅沢に育てる。

十六才になったころ、茜は隣家の娘から眼病をうつされて一年も苦しむことになる。両親は心配し、あらゆる名医の診断を請うたが、「必ず癒(なお)る」という言葉を聞かされるばかりで、茜は常に目脂(めやに)に悩まされていた。

一人娘で、わがまましたい放題であった茜も、視力が薄くなると美しい着物や美食にも興味を失い、鬱々と過ごす。そんな茜を、目が見えなくても音が聞こえれば楽しめるだろうと、父親の大造は自分の趣味である文楽へ浄瑠璃を聞かせに明治座に連れて行った。

目が悪くなり踊りの稽古もできなくなった茜であったが、盲目の検校(けんぎょう)今井慶松(けいしょう)について箏曲(そうきょく)だけは習いつづけていたため耳だけは肥えている。
序盤に登場する未熟な腕前の三味線や大夫(たゆう)の演目はすぐに飽きてしまう。家に早く帰りたいと訴える茜だが、大造は美しく着飾った可憐な愛娘と並んで文楽を見学していることに満足し、なかなか腰を上げようとしない。

ところが、壇浦兜軍記の琴責めが始まると、茜は竹本楯大夫(たけもとたてだゆう)の声に合わせて撥(ばち)を鳴らす露沢(つゆざわ)清太郎(せいたろう)の三味線にひきこまれる。とくに一の糸を清太郎が撥でたたき出すと、それは茜の身体にしみ通るように響く。露沢清太郎と一の糸。茜の人生を支配することになる二つの要素を、茜はこの日に深く記憶にとどめた。

新川の大商人として芸人たちの後援もしてきた大造は、茜が清太郎の三味線に聞き惚れたことをそれほど深く考えず、清太郎を引き立ててやろうと妻の世喜に語る。いっぽう茜は、ばあやのヨシから露沢清太郎が「文楽一の男前」だと知らされて、さらに動揺し胸をときめかせる。そして、その日から茜の眼病も快方に向かう。茜は胸の内で、その奇蹟を生んだのが露沢清太郎の一の糸であったと信じるようになる。

露沢清太郎の師匠露沢陶八(つゆざわとうはち)が、弟子たちを連れてひいきの旦那衆の挨拶周りのために上京し渡部家にもやってくる。
大造は、娘の茜が露沢清太郎の三味線の腕前を見抜いたことをすっぱぬくが、清太郎は不遜な笑いを浮かべるだけでなにも言わない。茜はその場にいたたまれずに自室に逃げこむ。
実際に間近でみた清太郎は、想像以上に美しく毅然とした若者であった。茜は清太郎の傲慢を憎みながら、どうしても自分が清太郎の一の糸に強く惹かれたことを伝えたいともだえる。

露沢清太郎の後援をすることを決めた大造は、次は茜を『八重垣姫』の興業に連れて行く。それを見ていた茜は、八重垣姫と我が身を重ねて泣き出してしまう。

日に日に清太郎への思いを募らせる茜は、夏と冬の興行のたびに大阪から上京してくる露沢一派を心待ちにするようになる。

ある日、茜宛に「佐藤良雄」という差出人からの手紙が届いた。
それは本名を佐藤弓次郎という清太郎からのもので、内容はありきたりの時候の挨拶と興行の予定が書かれていた。
しかし深窓(しんそう)に育ったうぶな茜は、その手紙を小さく折りたたみお守りのように肌身離さず身につけるようになった。

茜の眼病が完治した際、父の大造は快気祝いとして硯を知人たちに配った。その硯で墨をすり、茜は清太郎に返事を書くが、恋文めいた響きは一言も書けなかった。
東京から興行のため西下していく清太郎と茜は、とりとめもない内容の文通をしばらく続けることになる。茜は清太郎から届いた手紙を開けてはしまい読んではしまいを繰り返し、文言まで暗記する。

茜の恋情に両親はまったく気がつかないが、盲目の箏の師匠今井慶松だけは茜の稽古ぶりから彼女の恋心に気づく。

そして、例年通り渡部家に挨拶に現れた清太郎は、清太郎がいる部屋に入ろうかとためらっていた茜を見つけて、その手を握る。茜はこのときから、自分は露沢清太郎のおかみさんになるのだと思いこむようになる。

露沢一派の大垣での興行の初日、茜はお気に入りの着物をヨシに出させ、髪も結わせて東京駅から大垣に単身向かう。
大垣の田舎に都会の令嬢風の出で立ちの茜が一人で現れたため、文楽の一行も仰天する。茜に他意はなく、ただ快気祝いの硯を清太郎に届けたい、美しく装った姿で清太郎に会いたいという想いだけで大垣を訪れるのだが、結局その夜清太郎と茜は宿で結ばれる。
茜は清太郎の妻になることを改めて自身に誓う。

翌日、一人で東京に戻った茜は一晩帰らなかった娘を死ぬほど心配していた両親に、自分は露沢清太郎の妻になるのだと告げる。
士族の裔(すえ)である渡部大造にとって、どんないい家の息子も養子にもらえる条件が揃っているのに、その一人娘が芸人と契ってしまったことは腸(はらわた)が煮えかえる想いであったが、溺愛する一人娘の願いを叶える決心をする。

茜と清太郎が大垣で結ばれた日、実は文楽内は大騒動になっており、宇壺大夫と三代目露沢徳兵衛が決定的に決裂した日であった。茜は清太郎の妻として文楽内の確執を新聞で読み、清太郎がいずれ四代目徳兵衛を次ぐ技量であることを知る。

ところがまもなく、渡部大造が出した手紙の返事が露沢陶八から届く。その内容は残酷なものであった。
大造と世喜は茜に、清太郎は一年前に妻をめとっており子供も生まれたばかりだと告げる。

翌年の正月、万事が派手好きの大造はいつにもまして正月の準備に余念がなかった。二日には、ひいきの芸人を集め自らも義大夫を語ったが、娘の茜に日本舞踊をさせるのが常となっていた。

しかしその年の二日は、半年も前から茜が「八百屋お七」を舞うことが決まっていたのを、大造の独断で取りやめさせた。
大垣の一件から、茜に恋に狂う踊りをさせることはできなかったからだ。そして大造自身の義太夫も、大垣の一件以来三味線弾きの出入りが禁止となり中止となった。

踊りの師匠の薦めで、茜は「保名(やすな)」を踊ることになる。大造がこれに賛成したのは、保名が男舞であったからである。

しかし大造は、片恋の苦しさを表現している「保名」の内容までは知悉していなかった。保名を舞い始めた茜が真に迫りすぎていたことで、演目を見ていた人々は茜が実際に恋い狂っていることを察する。
「似た人あらばおしえてと」と歌われた保名を舞終えた茜は、舞台で泣きながら倒れてしまう。

渡部家にとってげんの悪い年始めとなったが、一月十一日には恒例の蔵開きがある。これは、自家で搗(つ)かせた餅をいれた汁粉を、近所の人々に振る舞う習慣であった。茜も毎年、お運びを手伝っていた。しかしこの年の蔵びらきが、渡部家にとって最後のものになってしまう。

蔵びらきのあと、大造は茜に縁談をもちかける。日本橋の家具屋元村家の一人息子との縁談だった。まったく実感のわかない茜だが、大造の一喝で縁談を承知する。

家具屋の息子との見合いの日、茜は鼻風邪を引いた上、不行儀の限りを尽くす。相手の若者が、あまりに醜男であったからである。
断られることを望んでの振舞であった。
ところが予想に反して、元村家は結納を届けてきた。茜の心の内は、まったく理不尽ながら、自分が清太郎を裏切ろうとしているとしか思えなかった。

その月、清太郎は大阪の文楽で興行中であった。茜は、自分が結婚することを告げるためだけに大阪に向かう。

大阪の文楽座で清太郎の一の糸の響きを聞いた茜は、この一の糸こそが自分の目を開かせた音だと改めて実感する。
演目が終わると、清太郎と茜は四人の弟子たちとともに夕食をともにする。茜も清太郎もなにも語らないまま、茜は夜行に乗って東京に戻る。しかし、茜はこれできっぱりと清太郎と別れたのだと自分に言い聞かせる。

早朝に東京に着いた茜は、両親のこれまでにない怒りに慄然とする。
大造は、婚約者がありながら別の男に会いに行くような娘は家の恥だから死ねとまで告げる。しかし茜には、死なねばならないことをしたという罪悪感がなかった。それでも両親に許しを請い、もう二度と清太郎には会わないと誓う。

嫁入り支度のために出入りの着物屋が渡部家を訪れた日、渡部大造は代々木の練兵場へ飛行機を見学に出かけていた。元村家との縁談が決まって以来、鬱々と日々を過ごす茜のために両親は嫁入り支度も派手に始めたが、茜の気分は沈んだままである。

飛行機の見学から戻った大造は顔色が悪く、すぐに床に就く。その夜、大造は脳溢血で急死した。

大造の死後の渡部家の急変を、稚(おさな)い茜は理解できないまま眺めていた。
新川の店はつぶれ、茜が嫁入り後に養子に入ることになっていた従兄も実家に籍を戻す。

奉公人も減り始めたころ、元村家との婚礼のさいに媒酌人を務めるはずだった夫婦が渡部家を訪れる。夫婦は、元村家からの破談を伝えに来たのだった。

矜(ほこ)りを傷つけられた茜はもう二度と男とは関わらないと泣き崩れる。
世喜はもともと気が進まない縁談であっただけに、茜の気持ちを察し慰める。泣き続ける茜に、目を病んだ茜には泣くことは目に悪いから、と温かく慰め続けた。茜の胸の中ではただ、清太郎の一の糸だけが響いていた。

やがて世喜と茜は、ばあやと女中だけを連れて上根岸の家にうつった。
茜の生活はあまり変わらず、活け花や箏をならう相変わらずのお嬢さん暮らしであった。豪奢を愛した父がいなくなった家には訪ねてくる人も少なく、母娘は味気ない日々を送る。

世喜は一年もたつとこの暮らしに我慢ができなくなり、下田に売りに出ている宿屋を購入する手はずを整える。その母の留守中、ばあやのヨシにだけは茜は大阪で清太郎とは何もなかったことを告白した。

大正十二年五月、露沢清太郎は四代目露沢徳兵衛を襲名する。
四年前の家出事件の傷がまったく癒えたわけではなかったが、母とともに下田の名門旅館「みすや」の経営のために下田に移り住んでいた茜にとって、生活は単調なもので、清太郎へのわだかまりよりもその芸への想いは深く、襲名公演には出かけようと考えていた。

料理屋兼旅館の「みすや」にはいい客がつき、経済的にも潤っていた世喜と茜であったが、田舎の単調な生活に二十二才の茜は飽き飽きしていた。
世喜自身も、夫の薫陶で芝居や相撲を見に行くのが好きなたちであったから、茜の言い分ももっともとして東京に「みすや」の支店を作ろうと計画する。

二十を越えた茜を、世喜はいつまでも手放せないほど愛していたが、いずれはどこかに嫁入りさせなければと思っていた。
「みすや」の上客には政治家も多く、そのひとり広沢修元は特に茜をかわいがり、様々な縁談を持ち込むが、茜の男嫌いは直らず、いつまでもわがままの一人娘をとおしていた。

三十二才という若さで、露沢徳兵衛の名をついだ清太郎は、新聞でも大きく扱われた。
三代目の徳兵衛と決裂していた宇壺大夫が、まだ清太郎であった若き四代目の徳兵衛に三味線を弾かせることを望み続けた事情を知っていた茜は、その公演を見に行く日を待ちわびる。

ところが九月、関東大震災が起きる。下田の「みすや」には東京からの避難客があふれ、茜も世喜とともに宿屋家業に精を出さざるを得なくなる。

世喜は気丈にも、混乱する東京に赴き永田町の一等地を普段では考えられない価格で手に入れる。その大胆さを目の当たりにした広沢は、世喜が女であったことを嘆く。

東京と下田にそれぞれ旅館を所有することになると、世喜と茜は従業員の監督のため離れて過ごすことが多くなった。それぞれの「みすや」に上客がつき繁盛した。
そして、今度こそ茜が露沢徳兵衛の襲名興行を見に行こうとした矢先、大正天皇が崩御。音曲停止(ちょうじ)となり、茜はふたたび徳兵衛の舞台を見ることができなくなる。

三年前の大震災と今回の天皇崩御、二度とも露沢徳兵衛の公演を見ることができなかった茜は、改めて二人の縁のなさを実感する。いっぽう、下田の「みすや」では女中頭と帳場を預かっていた男が金を横領して逃亡し、しっかり者でとおっていた世喜は面目を失う。

世喜は下田の「みすや」の立て直しに奔走するが、その間に茜はヨシから父親の死後にやはり番頭が新川の店をつぶしたいきさつを知る。

三度目の正直で、ようやく茜は徳兵衛を襲名した清太郎の公演を見ることができた。
変わらぬ清々しい容姿と熟達した三味線に茜は酔いしれるが、徳兵衛の周りに多くの女の贔屓客がいることを知る。

スポンサードリンクス

2.茜の結婚

昭和も十五年が過ぎ、三十七才になった茜であったが、相変わらず世喜の庇護の元で乗馬を楽しむなどして気ままな独身生活を謳歌していた。

世喜は、人を使う難しさから下田の「みすや」は手放し、東京永田町の「みすや」の充実をはかっていた。

徳兵衛の贔屓の女客の一人の豪華な宝石を見て以来、茜は宝石に執着するようになる。
「みすや」の経営が順調なため、世喜は投資と称して茜に宝飾品を買い与え続ける。

宝石屋から「幸福な妻」という意味を持つという特大のエメラルドを茜が購入した日の夜、裏木戸から宿に戻った客のために応対に出た茜は、その客の後ろに露沢徳兵衛を見て驚く。
徳兵衛を贔屓にする社長が夕食を馳走するために連れてきたのであったが、茜はその夜眠ることができずに徳兵衛を思い続ける。翌日は動揺のあまり、茜は乗馬クラブで落馬までしてしまう。

そして徳兵衛も茜を覚えていた。

落馬の傷が癒えたころ、徳兵衛は「みすや」を訪れて、世喜に茜を後添(のちぞ)えに欲しいと申し込んだ。徳兵衛の妻は、九人の子を残して二年前に亡くなっていた。

世喜は徳兵衛の女性関係を危惧し、それを理由に返事を保留する。しかし、世喜からその話を聞いた茜は、徳兵衛のところに嫁ぎたいと宣言する。
降るようにあった縁談の中でも、特に条件の悪い縁談であったが茜の意志は固かった。

中年を過ぎた二人の結婚は淡々としたものであったが、二十年前に恋いこがれた男の妻になった茜は箱根で幸福な三日間の新婚旅行を過ごす。
新婚の朝、徳兵衛が整える一の糸の音を聞きながら、茜は改めて芸人の妻になったことを実感する。

茜は、徳兵衛の本拠地である大阪に引っ越した。茜にとっては、徳兵衛の妻であるよりも、九人の継子の母としての生活がはじまった。適齢期の娘たちは、東京の世喜に預かってもらい花嫁修業をさせた。徳兵衛はその洒脱(しゃだつ)な容姿とは裏腹に子煩悩な男であったので、茜はひたすら継子たちに気を遣う。

文楽の東京公演中は、徳兵衛も茜も東京の「みすや」で過ごし、東京の水に洗われた娘と再会し、徳兵衛は目を細くする。茜は、世喜に大阪での生活の苦労をこぼすが、世喜は逆におなかを痛めずに九人もの子を持った幸せを茜に説く。娘たちは世喜にしつけられ、茜に嫁入り支度をしてもらい次々に嫁いでいった。

徳兵衛は金銭に淡泊な男であったので、大所帯をきりもりするために茜は奮闘する。戦争がはじまり内弟子たちが出征してしまうと、茜自身が徳兵衛に付き添うようになり、裏表がない故にずけずけとものを言う茜の評判は陰湿な文楽の中で悪くなるいっぽうであった。

大阪が空襲にあうようになっても、文楽ではそれを愛する客と演ずる者が寄り添うように公演を続けていたが、ある日大阪の徳兵衛の自宅も焼けてしまう。

終戦後、自宅も財産も失った徳兵衛一家は、世喜が買った京都の一軒家で同居を始めた。終戦まではうまくいっていた親子関係は、子供たちの成長とともにぎくしゃくするようになり、茜は口もきこうとしない継子たちの食糧確保に奮闘しなくてはいけない不満を世喜に訴えるが、このたびも世喜は逆に茜をなだめる。

しかし、徳兵衛のかつての愛人からも電話がかかるようになり、茜は徳兵衛と別れたいと世喜に話す。世喜は、自分の夫であった大造にも二号がいたことを明かし、妻という身分の強さを茜に語る。

七十才を過ぎた母親の気丈さと、徳兵衛の芸への精進を改めて見直した茜は、自ら「みすや」の再建に乗り出す。その矢先、長男の和雄が肺炎で死んでしまう。茜に、和雄の病状を子供たちが隠し続けたため、処置が遅れたためだった。

徳兵衛は気落ちのあまり、誰とも口をきかなくなる。
その様子を見ていた世喜は、徳兵衛に「もし、和雄の死の責任が茜にあるのならば、詫びた上で私たちは東京に引き上げる」と告げて、徳兵衛に正気を促した。

世喜の気丈さに助けられた形で、徳兵衛一家はふたたび和解をする。

スポンサードリンクス




3.戦後の茜と徳兵衛

終戦後、文楽は人不足金不足に悩み、露沢徳兵衛や宇壺大夫たちは悪戦苦闘を続けた。
ようやくその苦労が実ったのは、豊竹宇壺大夫が芸術院会員の栄誉を受けたときであった。

普段は無口で冷徹な三味線弾きの徳兵衛はその披露で見事な口上を述べて、二十五年間相三味線(あいじゃみせん)を勤めてきた喜びを表現した。根が陽気な茜は、夫の見事な口上を無邪気に褒めるが、その楽屋裏に宇壺大夫の妻が祝儀袋を持ってやってきて、おざなりな挨拶をして去る。

徳兵衛は、二十五年間相三味線を勤めた自分が、他の人形遣いたちと同列に扱われた屈辱に身を震わせる。茜は、大夫と徳兵衛の仲をとりもとうと努力するが、一度こじれた仲はなかなか回復しない。

宇壺大夫が芸術院会員となり、文楽は順調に復帰すると期待されたが、内紛も始まっていた。
翌年、文楽が労働組合を結成した。さらに、人形遣いの吉田紋三郎も芸術会員に迎えられるが、縁の下で文楽の復興を支え続けた人々の不満もあちこちに噴き出す。

文楽側は、興行会社に最低限の給与を要求し、会社側は興行が黒字になりがたい文楽とは芸人個人との契約を望む。

名人気質の宇壺大夫はこの紛擾(ふんじょう)を厭(いと)い、素浄瑠璃(すじょうるり)だけをやればいいと言い出す。人形遣い、興行会社、宇壺大夫の間に立って、徳兵衛は人々をまとめようと奔走するが果たせないまま終わる。

昭和二十四年、紛糾のあげく文楽は分裂した。会社側は紋下の宇壺大夫、徳兵衛、人形遣いの紋三郎を擁し、組合側は老いた紋三郎の弟子たちで結束した。

そのころ、東都新聞に宇壺大夫が芸談の連載を始める。徳兵衛もこの連載を楽しみに読むようになるが、ある日の連載に「先代の徳兵衛に比べて、当代の徳兵衛はまだまだ及ばない」と書く。

徳兵衛の弟子たちは師の心情を想い、慌てふためいた。
帝国劇場での公演初日のこの事件に、茜はなんとか徳兵衛にこの記述を見せないように弟子たちに箝口令をしいた。

しかし隠し通すことは不可能であった。
宇壺大夫のこの発言は徳兵衛をいたく傷つけ、徳兵衛は宇壺大夫の相三味線から降りることを決心する。帝劇の公演期日が終わらないうちにはじまった二人の紛争は、メディアでも大きく取り上げられた。二人は舞台に立てばお互いを認め合う芸人であるのに、舞台を降りると依怙地を張り和解をしようとしない。

文楽に残り芸道を磨くことをあきらめ、生活のために三味線を弾くと言いだした徳兵衛に対し、茜はふたたび「みすや」を再建することを決意する。世喜はすでに老いていたため、茜が一人で奔走し「みすや」を開業し、一家は昭和二十五年に永田町に移り住んだ。

世喜は喜ぶが、朝から三味線をかき鳴らす徳兵衛には泊まり客から文句が出た。
茜は断腸の思いで徳兵衛に夜の稽古だけは休むように懇願し、生活をきりもりする茜に忸怩(じくじ)たる想いがある徳兵衛はそれを飲む。

東京に移り住んだ徳兵衛のもとには、弟子たちの他に若手の歌舞伎俳優なども稽古にやってくるようになり、収入の面では大阪にいたころとかわりはなかった。しかし、宇壺大夫との芸に心を残す徳兵衛は還暦を間近にしてがっくりと老け込んでしまう。

総理大臣や著名人が二人の仲を取りなそうとし、徳兵衛も芸術院会員にするという動きがでる。が、芸にだけ未練のある徳兵衛は、そうした栄誉に興味を示さずに断る。興行会社からは、給与の増額や待遇の改善を条件に大阪に戻ることを促されるが、徳兵衛はそれも断ってしまう。

あらゆる取りなしは、芸人としての徳兵衛を傷つけるだけで終わった。

昭和二十七年春、世喜が永眠した。
葬儀のための費用や死装束まで生前に用意をしこの世を去った母に、茜は改めて敬意を感じる。徳兵衛も、このときばかりは素直に世喜への感謝を茜に伝える。

世喜の四十九日が過ぎたころ、興行会社からふたたび使者が徳兵衛のもとにやってきた。
興行会社の会長は、若手の大夫で最も有望視されている春大夫を仕込んで欲しい、と徳兵衛に伝えてきたのだ。宇壺大夫との仲が決定的に決裂したことを察した興行会社の会長は、徳兵衛の芸を次の世代に植えつけようとしたのである。
この提案を、徳兵衛は亡くなった世喜のはからいだと喜んで受ける。

竹本春大夫は、夏に「みすや」に到着した。有能といわれてもまだ若い春大夫に芸を教えることで、徳兵衛は英気を取り戻す。
しかしあまりに厳しい稽古に、茜は春大夫と徳兵衛の体調を心配する。徳兵衛は、老い先短い自分の芸のすべてを若い世代に伝えなければならない使命を茜に説く。

弟子たちは、徳兵衛が春大夫に因縁のある「花上野志度寺(はなのうえのしどでら)」を伝授していると知り青くなる。その演目は、これまでも名人を死に追いやったといわれる因縁付きの演目であったからだ。

一年経ってもその半分も完成できないことを焦(じ)れて、春大夫は茜に徳兵衛への伝言を頼む。しかし、五十年に及んで積み上げた芸を伝えるのに一年で根をあげる春大夫に徳兵衛は激怒、春大夫に大阪に帰れと怒鳴る。

徳兵衛は許さず、春大夫は稽古をつけてもらったところまで何度も部屋の外で語り続け、ようやく一月後に徳兵衛はふたたび春大夫を部屋に入れ稽古をつけ始める。

そしてさらに一年後、徳兵衛は春大夫とともに文楽に戻ることになる。しかし、その演目が「志度寺」と聞き、茜は不安を覚える。

八月の公演は、仲違いした露沢徳兵衛と宇壺大夫が昼と夜の公演に別々に出演するという異常事態となった。

春大夫は徳兵衛の期待に応えて、初日から観客をうならせる。
茜は、夫の撥(ばち)の音から徳兵衛が文楽に復帰したことをしみじみ喜んでいることを感じ取る。そして、宇壺大夫はいつもより早く楽屋入りをし、徳兵衛の舞台を未練とともに見学する。徳兵衛も、昼の部が終わってからも楽屋に残り、夜の部の宇壺大夫の「道明寺」を聞き、さらに闘志を募らせた。

昼も夜も気を抜かず芸道を極めようとする夫を、茜はひたすら案じる。文楽に戻り生気が戻ったとはいえ、徳兵衛は以前から体調を崩していたからだ。

公演中のある日、春大夫が茜を訪ねてきた。公演で体力が衰えているはずの徳兵衛なのに、春大夫は舞台に上がるたびに徳兵衛に殺されるかと思うほどの鬼気を感じるのだという。

その言葉を茜は徳兵衛に伝えた。徳兵衛は茜に謝し、その日から彼の撥さばきから激しさが消える。その演奏を聴いた宇壺大夫は衝撃のあまり、楽屋裏から去ることができなかった。そして夜の部の宇壺大夫も、肩の力を抜いて語りあげる。お互いへの未練を捨てた名人二人の、芸の昇華の瞬間であった。

体調もよくなった徳兵衛に、茜は公演後に旅行に連れて行って欲しいとねだる。徳兵衛も機嫌良くそれに応じた。

千秋楽の日、茜は翌日の旅立ちに胸を躍らせ、贔屓の旦那衆への挨拶も一人ですませる。八月という客の出が少ない月に、連日満員の記録を作った徳兵衛やその弟子たちも浮かれた気分で最終日を迎えた。

舞台に上がる瞬間、徳兵衛は茜に笑顔を送ってよこす。そのようなことは初めてであったので、茜は不安を覚えた。

舞台が終わり春大夫と徳兵衛は頭を下げるが、春大夫が立ち上がっても徳兵衛は動かなかった。
三味線と撥を両手に持ったまま、徳兵衛は意識を失っていた。運ばれた楽屋で、撥を握ったまま徳兵衛は息を引き取った。

ようやく復帰した名人を惜しみ、徳兵衛は「文楽葬」をもって送られることになったが、茜は呆然としたままであった。
年下の徳兵衛に先に逝かれた宇壺大夫は、談話として「あれほどの三味線はもう二度とでませんやろう」という最大限の賛辞を残す。

そして、葬儀にも宇壺大夫は現われた。その手を握った茜は、徳兵衛が死んでから初めて涙を流す。一方が死してようやく和解をした名人二人を思い、茜は涙を流し続けた。

4.まとめ

この物語を初めて読んだときには、私はあまりその内容に心を惹かれなかった。それはたぶん、私が若かったからだと思う。
三十七才で初恋の人の妻となり、結婚しても甘やかな新婚時代がないまま継子の苦労をする話は、若い私にはとてもつまらないことに思えたのだと思う。

十七才で初めて聞いた三味線の一の糸への想いを貫き、妻としての苦労も、持ち前の明るさと豪放さで乗り越えた茜の姿に、私は彼女の両親の存在をより強く感じた。

富裕な商人でありながら情が深かった大造、夫と娘を深く愛しながらも情におぼれず、気丈に賢く二人を支えた世喜。この二人から生まれた一人娘の茜が、わがままに見えながら筋を通して生き抜いていく姿は、中年を迎えた私にはとてもすがすがしく見える。このように生きたいものだと、心から感じる昨今である。

スポンサードリンクス

関連記事

スウェーデンに移住 結婚や同棲で居住許可を申請する書類手続きや面接について

今回は、「スウェーデン永住権を持っている人と一緒に住む為の居住許可申請について紹介をしたいと思い

記事を読む

太宰治 魚服記のあらすじ│大人へと変化する少女の心

魚服記は、炭焼き小屋に住む多感な娘スワが、父から聞いた、馬禿山の滝にまつわる昔話を信じ、大人へと

記事を読む

太宰治 桜桃のあらすじ│内面の不安に怯えた太宰自身がモデル

太宰治「桜桃」のあらすじを紹介します。 桜桃は、家事や育児ができず、子供の問題に正面から向き合

記事を読む

「ライオン」の動物占いでは、仕事や恋愛の相性はどうなの?

・ライオンの人ってどんな性格? ・どんな人に惹かれるの? ・相性のいい動物タイプは? ・こ

記事を読む

太宰治 津軽のあらすじ│人々との明るい交流が感じられる作品

太宰治「津軽」のあらすじをお届けします。 数ある太宰の作品の中でも「津軽」は高い評価を受け

記事を読む

動物占いって当たるんですか?「ペガサス」で相手の性格や恋愛など占ってみました。

私が好きになった人が、動物占いでペガサスだったら、どうやってアプローチすればいいのかしら。。。

記事を読む

スウェーデン王室の結婚にまつわる国王と王妃のエピソードには、あの有名曲も

魅力溢れる北欧の国スウェーデン。 今回は、スウェーデン王室での、国王のノーベル賞授賞式での役割

記事を読む

太宰治 人間失格のあらすじ│破滅に至った人間を描く太宰作品の真骨頂

太宰治の人間失格は、紛れもなく太宰の代表作である。 一般的に「人間失格」と言えば、その意味

記事を読む

太宰治 斜陽のあらすじ│芯の強いシングルマザーは太宰の愛人の投影

太宰治の名作「斜陽」のあらすじをお届けします。 この作品では、没落していく貴族の家に生まれ

記事を読む

動物占いで「虎」の相性(性格や恋愛)について調べてみました。

動物占いで虎に当てはまる人は、一般的にあまり多くをしゃべらず、勉強熱心で、また、行動力が伴う人で

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日光男体山の登山ルート4つ紹介 修験者の山、そして良縁もゲット!?

男体山(なんたいさん)は、標高2486m。 栃木県日光市にあり、

高尾山の全登山コース12通りを紹介 初心者のハイキング~上級者までを、そばや温泉を楽しみながら

東京都の西端、八王子市にある標高599mの高尾山。 昔から遠足や

早池峰山の全登山コース6つとバス利用について 日本のエーデルワイスに会いに行こう!

早池峰山は岩手県中央部、北上山地の山で、新幹線・東北自動車道の通る

磐梯山の登山ルート全7つをご紹介 初心者~上級者まで楽しめます

会津磐梯山はタカ~ラの コリャ♪ や~ま~よ♪ と歌のこの一節だ

利尻山の登山コース全4つ 利尻富士は一度は目に焼き付けたい美しさ!

「まるで島が山なのか、山が島なのか・・」 日本百名山の著者深田久

→もっと見る

PAGE TOP ↑